漣の果てに。 第5話
親父からの電話ですっかり目が覚めてしまった。おふくろが死んでもう一年になる。結局、おふくろには夢を叶えた俺の姿を見せられなかった。ガキの頃から持っていた夢がある──教師になること。
小学校の頃、周りよりもある程度勉強が出来た俺は友達に教えることも多かった。教えることで友達が納得してくれて、「ありがとう。分かりやすい」の言葉がすごく嬉しく、漠然と教師になりたいという夢を持っていた。
中学受験に失敗した。デュッセルドルフ日本人学校では、分からないことなんて一つもなかった。でもそれは、御山の大将、井の中の蛙であり、鳥なき里の蝙蝠だった。落ちるはずがないと思っていた中学受験という未知の道は、アスファルトの上を得意げに歩いていた俺を深い落とし穴に誘っていく。
自立も何もない。親に言われるがままに受けた中学受験。ドイツから一月受験・二月受験と二度も受験しに行った。久しぶりに日本に帰れることが嬉しかったくらいで、受験に対しては真剣だったとは言えない。渡航費、滞在費、受験料。今考えれば大きな負担だ。
三校受けて三校目も不合格だと分かった時も、俺はあっけらかんとしていた。一方おふくろは俺が相当ショックを受けていると思っていたらしい。その夜、おふくろがドイツで留守番している親父と電話しながら涙していたのを、寝た振りを決め込み聞いていた。
「圭司に大きな傷を作ってしまった。中学受験なんかさせなければ良かった」
嗚咽交じりに話すおふくろの言葉は胸に響いた。中学受験をさせて良かったと言わせる、それが中学生活での俺の原動力となった。親父は単身でドイツに残り、俺とおふくろの二人で日本に戻ってきた。(ちなみに姉貴はデンマークにある日本法人の全寮制高校に通っていた)
横浜市の公立中学校での三年間が始まった。しかし、そこに待っていたのは聞きしにも勝る驚くべき現実だった。部活動での上下関係、集団主義、出るくいは打たれまくる風潮。そしてそれを良しとする教師たち。
授業で質問をした。「今はその質問に答える必要はない」
自分の考えを述べた。「そこまで深く考えなくていい」
先生の誤りを指摘した。「あとで職員室に来なさい」
自由なき教室。素顔なき生徒。そして自分の非を認めぬ教師。
逆らおうものなら伝家の宝刀「内申点」を振りかざす。
こんな状況が罷り通っていてはこの国に未来はない、そう確信した。
今こそ素顔同盟。自分の中の「いい子ちゃん」に辞表を提出してもらい、先生の顔色を窺うのに終止符を打って、実力を高めることだけに集中した。中学受験の失敗に加えて「終わってる」公立中学の空気が、高校受験に向かう俺に火をつけ、結果第一志望の高校に合格した。
中学校に電話で合格報告をした時の学年主任の声は、忘れない。
「今、職員会議中だ。なんだ? ……えっ! 嘘だろ? 今日発表だったのか?」
──生徒の人生を賭けた合格発表の日も把握していなかった。もちろん、サプライズの演技でも何でもない。
その時、決めた。教師という立場にふんぞり返り、自分の間違いを認めず、狭い狭い教室の中でしか生きられない教師たちでは、子どもたちが不幸だと。
自分の手で一石を投じたい、子どもたちと今を生き、未来を一緒に見られる教師として子どもたちに接したいと。
しかし、俺はサラリーマンだった。夢は夢のまま。
向かう方向は定まらない。Like a rolling stone…
「杉森。岩手へ行け。社運をかける」
空気を重くする間もなく、社長がさらりと言いのけた。
新年明けて早々社長室に呼ばれ、異動か、と覚悟を決めて訪れたが、違った。
岩手……。社運……。
一つしかない──井沢ダムだ。
小森建設は関西地盤の企業。東北は弱い。井沢ダム建設は計画の時点で国内第二位の規模である。これだけの大工事、もちろん、鹿鳥(かどり)、清川組、中成建設などのスーパーゼネコン全社が動いていたが、ダム工事に強く地元に近い鹿鳥が、早々と有力候補として挙げられていた。
ダム工事といえば談合。しかし近年は談合絡みの事件が増え、当然今回の井沢ダムの工事も検察に徹底マークをされている。「検察」VS「ゼネコン」の争いは激化する一方だ。
小森建設も地元の工務店とJVを組む手筈を整え、入札に参加する。しかし、鹿鳥は地元の最大手といえる青砥工務店とJVを組み万全。死角なし。ましてや今回は東北での工事。鹿鳥で決まりだろう。
今更何をしにいくのだ? しかも、社運?
井沢ダム建設はこれまで白尾副社長が動いていたはずだ。負け戦に人員を増やして勝負する理由が分からない。
なぜだ? 俺の顔の複数のクエスチョンマークを社長が読み取った。
「勝てる。黒澤さんが動いた。……つまりこの工事は黒澤一郎次第だ。下馬評は関係ない。聞くところによると、杉森君は黒澤さんの後輩だそうじゃないか」
黒澤一郎、政界の影のドン。民栄党は首相こそころころ変わるが、結局はこの男のカリスマでもっているようなものだ。慶應大学時代から黒澤はドンだった。二浪して大学に入ってきたこともあり、実年齢もさることながら、およそ大学生とは思えない風貌とただならぬオーラから、新入りの何人かは教授と間違えて挨拶をするほどだった。
面倒見は良く、周りからは「黒さん」と呼ばれて慕われ、ゼミの発表の順番からその日に行く雀荘まで黒澤が仕切っていた。俺が三年でゼミに入ったとき、教授よりもゼミの実権を握る黒澤の存在に大いに畏れ入ったことを覚えている。黒澤は卒業後、日大大学院の法学部に進み、俺は京大大学院の工学研究科建築学専攻へと進んだ。道は岐れたが、年賀状程度のやりとりは今も続いている。
「黒さん……」
ため息が漏れる。田中角栄を心服し、金丸信に寵愛された黒澤一郎。建設業とのつながりが強く、ヤミ献金、賄賂というイメージがつきまとう。「黒」澤という苗字がこれほど似合う人はいないと謗られる存在。
しかし、一方で選挙の黒澤と言われ、黒澤が手がけた議院の選挙での勝率は圧倒的だ。人情味があり、地元民に愛され、人を巻き込む演説力がある。これほどまでに、世論と「黒澤を知る人」の間で印象が異なる人間というのも他に類を見ない。
黒澤は「クロ」なのか「シロ」なのか。警察は元より頼りにならない。検察も黒澤の前ではお手上げだ。しかし、俺は知っている。黒さんは「クロ」だ。しかし限りなく透明に近い黒。つまり、シロ。今の日本では黒澤一郎を止められない。
なるほど、そう来たか。
東大工学部建築学科卒の生粋のエリート社長は勝負師だ。可能性のある勝負はすべて取りに行く。ゼネコン大手は今や横一線。談合制度が完全にマークされてから自由競争の度合いが強まったが、自由競争になっても、各社プライドをかけて勝負どころは入札額を落として、赤字覚悟で取ってきている。生き残りのために各社ほぼ順繰りで大工事を受注している。
井沢ダムを取り、計画中の「二代目東京タワー」を取れれば、知名度、技術力で小森建設は一気に業界最大手に躍り出る。社内で極秘に進んでいる「二代目東京タワープロジェクト」では、営業・企画・設計で全社のエースをかき集めている。耐震性、デザインにおいて現在の技術力を結集して提案をしている。他社の噂も聞くが、どれも似たり寄ったりだ。小森だけが独自性を持った提案が出来ている。
当初はこの「二代目東京タワー」のプロジェクトで俺に声がかかるかと思っていた。しかし、実際に入閣したのは、ドイツで一緒に働いていた五條だった。実績を残してきたつもりだったが、社内で上手く立ち回る五條の政治力に屈した形だ。自分の仕事を鼻にかけるあいつにはどうしても負けたくなかった。プロジェクトメンバーの発表を社長から役員会で聞いたときは切歯扼腕の思いだった。
温風が吹き出るエアコンの音が耳に触る。
がさつく指は携帯電話に入っている「黒さん」の番号を呼び出していた。
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