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30歳超えてカナダ留学|大人留学を決めるまで

本日はバンクーバー時間では、2023年2月25日(土)です。
ちょうど一年前の2022年2月24日(木)に31歳の自分は人生初めて日本を出ました。

旅行でさえも、一度も海外に行ったことのない中、初めての海外が留学でカナダに来ました。周りの友達にはすごく驚かれたのを覚えています。

どうして、留学をしようと考えたのかは2020年1月から世界で流行し始めた新型コロナウイルスの流行がきっかけでした。そのころの日本はまだ大流行という状況でもなく、まだ普通に居酒屋に飲みに行けるような日常でした。

留学を考え始めた瞬間

ちょうど2020年7月に30歳を迎えようとしていた自分はよくある節目の年の悩みにぶつかっていたように思います。
これまでのキャリアで3度の転職を経験して、給料ではなく、働き方でもなく、ワークライフバランスでもなく、自分がその時必要としていた身に着けたい能力を得るために会社を選んで、いわゆるサラリーマンをしていました。

学生の時に様々な活動をしていたこともあり、周りの友達には起業している人、フリーランスとして活躍している人、会社の中で活躍している人が多かったように思います。
比較しても意味がないのに、そういう友達たちのことを羨んでた自分がいたと思います。

自分がこれから65歳、70歳まで仕事をするにあたって、今の仕事の選び方や、生き方でいいのか。30歳っていう、ただの数字でしかない数字に悩まされてました。

そんな時ふと思い出したのは、駒澤大学のグローバルメディアスタディーズ学部に在学中にオーストラリアのシドニーのIT企業へのインターンをドタキャンしたことでした。ドタキャンした理由は、費用が200万円近くかかることと、その時進めていたプロジェクトの流れから、自分が日本を抜けるわけにはいかなかった、責任感だったと思います。
思い出した理由は、これまでの人生でやり残したことってあったかな、と考えていたんだと思います。

そんな時でした。2020年の3月末に大学の後輩の釘宮と渋谷のセンター街のHUBで飲んでいた時、ふと彼の口から「実は会社辞めて、オーストラリアにワーキングホリデー行こうか考えていたときあったんですよね。」という言葉。そしてその時、ワーキングホリデーの制度のことなんかも大して知らないのに、なぜかビビっと来たものがあったような気がしました。
釘宮に話を聞くうちに興味を持ち、アイエス留学ネットワークの坂本ちかさんを紹介してもらいLINEで会話が始まったのが2020年4月3日(金)でした。

オーストラリアにワーホリ

数日後、会社はシドニーにあることを知り、ちかさんとLINEでワーキングホリデーについて聞かせてもらいました。オーストラリアのこと。費用のこと。学校の選び方のこと。
前述通り、一度も海外に行ったことのない自分にとってはまず、パスポートはどこに行けば申請できるのか?、というようなとこからでした。
そして、なんとその話を聞いた自分はほぼ即決並みの速さで誰にも相談することなく、2020年4月にはオーストラリアにワーキングホリデーすることを決めました。

親にどのタイミングで伝えたか、相談したのかは覚えてませんが、パスポートを作り、オーストラリアのビザ申請のために必要な資料を集め、入金をし、2021年2月にオーストラリアに入国することを決めました。

ちかさんはとても親切な方で、何も海外のことがわからない自分の質問に全て丁寧に答えてくれました。本当に感謝してます。この約1年10ヶ月後に、申し訳ないことをしてしまうとは自分も考えてなかったです。この話は、また違うときに書こうと思います。

パンデミックの流行と留学

一方で、世界の新型コロナウイルスの流行は深刻化し、日本にもその脅威は降りかかり、経済が大混乱してきました。飛行機の国際線は停止に追い込まれ、ワーキングホリデーのビザの降りる時期も不明確な状況が続きました。
そして、オーストラリアは海に囲まれた孤高の大陸ということもあり、外国人の入国を徹底的に閉ざすという水際対策を取ってしまいました。国境がいつ悪かわからなくなったことで、一旦、2021年7月の入国に切り替えたのを覚えています。

しかしそれでもパンデミックは収まらず、僕の初めての海外挑戦の先行きは暗雲が立ち込めました。年齢はこの時30歳になり、そもそもワーキングホリデーの上限が30歳なのに、30歳のうちに行けるのか心配になりました。
ただ、ここに関しては30歳までに申請さえしていればビザの降りたところから一年以内に渡航ができればOKとのことで、安心したのを覚えています。

その後もパンデミックは収まらず、オーストラリアへの入国は延期の延期の延期を繰り返していました。近しい友達にだけは、海外に行くことを伝えていましたが、先行きが見えないまま、2020年が終わり、2021年の7月で31歳になりました。

カナダに行く?という提案

そしてまだ、オーストラリアの国境は空いていなかった2021年8月。アイエス留学ネットワークのちかさんから、一つの提案がありました。
「カナダなら国境が緩和されて日本から渡航が出来そう。だから、co-op(コープ留学)をカナダでした後に、オーストラリアに行くのはどうか」というものです。

まさに寝耳に水。行くとこを全く考えてなかったカナダという選択肢でした。ただ、話を聞くのはタダということもあり、ちかさんから、chika wh agencyのバンクーバーに住んでるちかさんを紹介してもらいました。なんの因果か、ちかさんからちかさんでした。

そして、バンクーバーの話をchika wh agencyのちかさんから聞いて、紹介されたその月、2021年8月にバンクーバーへの留学を決めました。SELCという語学学校のESLとco-op(コープ留学)プログラムでデジタルマーケティングのコースを選択しました。そして、2022年の2月にカナダに入国することもこの時決めました。

どうしてデジタルマーケティングのコースを選んだのかはまた違う時に書こうと思います。今こうやって振り返ると、本当になにもかもが即決してて驚いています。

まだ少しパンデミックの不安はありましたが、やっとほぼ確実に留学日が決まったのが2021年12月頃で、2022年1月に入学許可証が届きました。
入学許可証がこないと確信が持てなかったので、その時務めていた会社にはぎりぎりまでやめることを言えませんでした。友達や周りの人にも伝えたのはギリギリでした。すべてはパンデミックが続く中、いつ渡航ができるようになるのかがわからなかったという部分にありますが、突然行くことになり申し訳ないと思ったことを覚えています。

急ピッチで渡航の準備を始め、地元の静岡に荷物を運んだり、住民票を移したり、確定申告をしたり、あわただしかったのを覚えてます。

最後に

そして、2022年2月24日(木)に遂に、カナダはブリティッシュコロンビア州のバンクーバーに入国したのが一年前です。今振り返ってみるとあっという間です。30歳を過ぎるタイミングで自分の人生について考える人はたくさんいるんじゃないかと思います。どんな人生にするかは自分次第です。


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