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みんなに潜む料理警察の振る舞いから「手抜き」を紐解く

今日も今日とて簡単に料理一品を作ります。
そんな日もあります。

この「簡単に作る」というのが案外厄介で、罪悪感持ったりしませんか?

深層を探ってみようと思います。


知らぬ間に宿る罪悪感

捉え方、表現というのは巧妙なものです。

簡単・シンプルに作ったサラダ。
違う言い方をすれば、手軽に作った、手抜きした、と悪意を込めた表現もできます。


世代間の摩擦と面白がるマスコミ

先日、お惣菜のポテサラをスーパーで買った女性の行動に対し、年配の男性が苦言を呈すという事故が話題になりました。

時代の変化に応じた新しい考え方を受け入れづらいご高齢の方。
若者と年配の方に生じる摩擦を面白がって報道するマスコミ。

どうしてもそういう話題が生まれてしまうものでしょうし、致し方ないなと放っておくことにしています。


自分の中に潜む「警察」

人ごとだったら放っておくでいいけど、実は自分の心の中に「料理警察」が住み着いているとしたら?

みなさんも「やらなきゃいけない」という考えに知らずのうちに縛られていたりしないでしょうか?

キッチンに立つからにはしっかりした料理を作らなきゃいけない。
食材を手に入れたら下処理からしっかりとやらなきゃいけない。
手抜きするとは言い訳である。

私も無意識のうちにサラダ警察がサイレン鳴らしてパトロールし始めることがあります。


世間の目とか。
自宅で好きに食べるだけだっていうのに、何に縛られているんでしょう…。

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そんなの窮屈でしんどいね


「凝っている=素晴らしい」のか?

お花の生け方がいろいろあるように、サラダ作りだっていろんな見せ方があっていいと思うんです。
だから凝っていることが必ずしもベストではないと思っています。

そして誰かのために作りたいと思えば、自ずとできます。

「外食ばっかりみたいだから、栄養バランスのとれた組合せにしよう」
「野菜だけだと物足りないみたいだから、お肉を添えてみよう」
「茶色い食卓になっちゃうから、サラダで彩りよくしよう。こないだのお店の真似でもいいかな」

食べる方は完成系に目がいきがちですが、作る過程に想いがこもります。
だから結果的に簡素なものになってもいいわけです。
作らずに買ったっていいんです。

誰かさんのために準備する。
その誰かさんが自分になると、いろいろと気が抜けるんですけどね。笑


前向きな「手抜き」をしてみる

余裕がある(体力がある)時は、できることの選択肢が広がるわけです。

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人間なのでへたる時もあるし、調子良くてもサッと済ませたい時もある。
だからそういう時は自分の感情に嘘をつかず、前向きに「手抜きする」という選択をとるようにしています。

あえての「手抜き」。

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前日のサラダ。もっと簡素!


ハードル下げていこ

私自身、もともと人目を気にして八方美人なところがあったり、完璧主義なところがありました。
これを打ち砕いていこうとする中でようやく実現し始めたことです。

ちょっと行動を変えてみてわかったことなんですが、他人はさほど自分のことを気にしていないし、きちんとやったところで自己満だったりするんですよね。
いらないこだわりは捨て去ってよかったなと思います。
余裕ができると他のやりたいことに注力できますからね。

いろんな声が耳に入りますが、他人と比べずマイペースで自由に作りたいものです。

状況によってはなかなか難しい方もいるかもしれませんが、まずは簡単な一歩から。
違和感は疑って、少しずつ変えてみてください。

そうしたら警察の攻撃性は消えて、私たちの平穏を守ってくれる気がします。


おわりに

ご覧いただきありがとうございました。

他にもサラダ作りや自炊を楽しむヒント集を日々まとめています。



ご覧いただきありがとうございます。いただいたサポートは新たな食材との出会いに、そしてサラダにお招きさせていただきます。「これ使ってみて!」「おいしいからオススメだよ」などのお声はぜひコメント添えていただけるとうれしいです。