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歩いてきた道を振り返ってみると貯まってる、それが『ゆたかさ貯金』と定義した

このnoteはぼくにとっては人生で初となる企業さんとの取り組みで書いてます。前置きとしてはこんな感じです。

レオス・キャピタルワークスが運営する「ひふみ投信」が、5月からブランドメッセージを変更し、「次のゆたかさの、まんなかへ」になります。そのメッセージの核である「ゆたかさ」について、もっと多くの人に考えてもらいたいと相談を受け、コンテストを開催することになりました。

ということで、ぼくなりの『ゆたかさ』についてちょっと書ければと。また僭越ながらぼくのnoteがお手本となるようなので、ぼくが言うことではないですが、これは人間バラバラな価値観の中で感じたゆたかさに触れてもらえればいいんだと思います。


まとめ

さて、それでは本題に入っていきたいと思います。
ぼくが思う『ゆたかさ』という言葉から浮かんだものは牛丼資本主義であって、まとめとしては(もうまとめかよって感じですが)

『ゆたかさ』とは追い求めないことが1番の豊かにつながると思う。

ということです。ここから順を追って説明していきますね。


そもそも豊か(ゆたか)って言葉って形容詞なんです。小学生でも知ってると思いますが。ぼくにとって形容詞って「美しい」とか「明るい」「細い」などメインとなるものを彩るそんな扱いになります。

そしてそれは衣食住という生きていくために必要なものに対して良いなと思う嗜好品(エンタメなど)みたいな関係性であって、かつ形容詞の中でもさらに難しい視覚的に判断ができないところにいるのが『ゆたかさ』だと思ってます。


牛丼最高

「なんで世の中の最高級料理が牛丼じゃないんですかね?」

毎回ぼくはいろんな人に言いますよ。
世の中でお金を持ち始めるといろんな美味しい食べ物に飲み物に出会うことができます。それは自分が意図してない時であっても。むしろ上限なんてものはないほどに。

それって高いものを食べるのが豊かってことなんですかね?豊かの先にあるであろう幸せってことですかね?それならぼくは牛丼を食べるだけで幸せだし、食べ物の上限も全員同じ400円の牛丼にすればいいのに。って。もしそんな世界だったらイチイチどっちが食べれて幸せかなんて競う世界がなくなるはずなのに。


資本主義社会ってやつ

「人の豊かの価値観はそれぞれだけど、資本主義の中で格差はついてる」

牛丼が一律であったとしても、個人が持ってる資産は勝手にランキングができてるわけです。じゃあお金持ってる人は良いけどそうでない人は残念、可愛そうってなるのでしょうか?ぼくたちが生きてる資本主義だと残念ながら綺麗事ではないのでそれは格差となり、ときに総資産ランキングなどで雑誌で取り上げられたりします。

もちろんお金がゆたかのすべてじゃないよってこともわかりますが、でもあるほうがいいですよね?

結婚するならどんな男性がいいですか?と女性に聞くとしましょう。

A.
年収360万で毎日18時に帰宅する家庭想いな男性
B.
年収1500万で毎日会食で日付が変わって帰宅する仕事優先な男性

別にどちらを選択してもそれは個人の価値観という言葉に収まりますが、ぼくは単純にAを選択した女性はそのうち「もっと仕事して稼いできてほしい」と言うと思います。(偏見だけどそう言ってほしい笑)


ぼくは『ゆたかさ』っていうのは冒頭で書いたように可視化できないものだと思ってるし、それは個人の価値観だとしても、結果的に感じることは人と比べること、物質として比べること(高価なものが良い)などで単純に人間ははじき出していると思っている。

それから全てが管理されてるような国、資本主義ではなくて社会主義国家のほうが、国民としてのゆたかさ率みたいなものがあったら高い水準なんじゃないかってよく考えちゃうんですよね。


ゆたかを感じるタイミング

ここからぼく個人の実体験をもとにもうちょっとだけ書いてみようと思うが、ぼくにとってゆたかを感じ瞬間はどこにあったのだろうと思う。


うーん。


なかなか難しいね。これ。



いままで例題だけ書いてきたけど、いざ自分のことになるとなんか自分のことをどこまでも後回しにするから自分の人生を大切って思ったこともないし、人をサポートしたいから、個人を応援したいってUUUM創ったわけだし。


と、20分くらいぼーっとした結果、こんなところにたどり着いた。


ぼく自身、このnoteを読んでもらえるとわかり通り、ほぼニートみたいなところからいまの会社を立ち上げて結果的にはいまの社会的地位がある。世間的にいうと資産を多く持っているということではある。

でもこの状況をゆたかなのかというと、ピンときてない。
金持ってるくせになぜピンときてないかというと、いまという流れてる時間の中で判断するっていうのがピンときてないんだと思います。

そう考えると逆に過去の出来事に対してなら無限にいろんなゆたかなケースが湧き出てきた。


ゆたかだった時

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これは2017年に東証マザーズに上場した時の1枚。上場の瞬間の話ではなくていままでやってきたことが実ったと実感できた時。


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これは大好きなシンガポールでのんびりとランチをしてる時。この環境の事を指してるのではなくて、海外旅行ができるように日々頑張ったんだと感じれた時。


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この写真は去年宮崎オフィスに行ったときのクリエイターとごはんを食べたあとにめっちゃ良い気持ちで歩いてる時。心を許せる仲間がいる、だから本音で話せるって体験をしてる時。


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そして最後に自分が去年の12月に誕生日を迎えた時。この日にいろんな人が集まってくれて祝ってもらいました。そんな仲間が居てくれることがわかった時。詳しい誕生日の1日はこちら笑。

さらに自分がこの年齢まで大病なく育ててくれた両親とその環境を感じた時、こんな瞬間がぼくにとっての『ゆたかさ』を感じた、切り取ったものでした。これは本当に一例で過去を掘り起こすと無限に出てきました。(本当はクリエイターととことんお酒を飲みあった写真とかありますが、やめておきます。笑)

カメラロール見返すと『ゆたかさ』しかないです。


ゆたかさの定義

最後にぼくにとっての『ゆたかさ』の定義を書いておきます。

『ゆたかさ』とは追い求めないことが1番の豊かにつながると思う。

冒頭にまとめとしてこんな一文を書きましたが、悩んだ結果、ぼくにとっては進行形の「今」ではなくてやり終えた「過去」を振り返ることで、過去の成果・結果ができた過程を同時に確認することでゆたかさを感じることができました。


あー、おれって幸せモンだなーって改めて思える時ってやつです。


なので逆をいうと、日々『ゆたかさ』なんてものは求めても仕方ないって再確認できました。あくまでも自分が通った、作った道を振り返ってみると無限に転がってるものなのかなって解釈してます。

勝手に名付けてみると『ゆたかさ貯金』を毎日してるってかんじですかね。忘れたころに振り返ってみると貯まってるものなのかなと。

なので繰り返しになりますが、追い求めてもむしろ無駄なものなんだって。いやー、ここまでに辿り着くのなかなか長かったな。笑


おまけ

今回はもらったテーマについて考えて文字にしてみました。そしておまけとして、勝手にぼくはなんで、レオス・キャピタルワークスさんがブランドメッセージを『ゆたかさ』にしたのかを考察するがこんな感じかなと。

・ゆたかというのはやはり個人の価値観でバラバラ
・ゆたかという言葉を改めて考えさせる機会を与えたい
・鎌田理論でいうと作った道(人生)のあとに出来るもの
・道をつくる、人生をどう歩むのかを具体化させる言葉
・そしてお金はないよりはあるほうがいい

こんなところがちょっとでも入っていたらぼくもなかなかなやつですねぇ。笑


冗談はさておき、ぼく自身、このような機会を頂かないければ考えなかったテーマに出会えたことに感謝してますし、ぼくの駄文というとそれまでですが、ここまで読んで頂いた方が居たなら感謝ですし、逆にやっぱりいろんな人に『ゆたかさ』にぼくも触れてみたいので、たくさんのnoteが公開されるのが楽しみです!


今日はこんなところで。



最後に。(やっぱり毎回言おうと思います)
読んで頂きありがとうございます!そして読んだということで「ハート」をポチってください。人間リアクションは大切です。

あと(追加!)、人生相談というnoteを書きました。ちゃんと回答していきたいと思うのでぜひあれば書き込んでみてください。

またnote内にサークルがあります。こちらもよければ。


※この文章は、「ひふみ」とnoteがコラボした「#ゆたかさって何だろう」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。



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