100日哲学チャレンジ☆13日目

 「頑張らない自分」を作り出せ!

 精神異常を、文章を書く上で必要としていた。書くことには、ネタと集中力が必要だから。そして、個性がないと読んでもらえないと思っていた。
 これまでは、文章を書こうとするとき、単に面白いというだけでなく、読み手にとって驚きや学びがあった方が良いとか、余計なことを考えていた。辻褄が合わなかったり、表現があやふやだったりすると、自分の価値を下げられそうで怖いから、めちゃめちゃ推敲と、下調べをして、書く。それか、フィクションにしちゃう。いずれにせよ、僕はかなり緊張して、いつも書いていた。
 しかし、その緊張感を味わうのは、仕事の中で十分な訳で。しかも、仕事でさえも、チームで動くから、完璧なものなんて作る必要はないことを知った。
 学生時代までは、間違いをおかせば、怒られ、正され、諭された。それでも、間違いを恐れず進めと言われるのが若者なので、傷つきながら生きるしかなかった。でも、大人になれば、突如「正解」が消える。怒られもするが、自分の裁量も出てくる。判断に迷えば、こちらから相談することが先決。
 世界はガラリと変わった。夢を語れば、バカにされ。真面目であるほど、ひとりぼっちになる時代が、終わった。激流の川水の中で息苦しく生きていたと思ったら、突然大海に出た。どちらに行くのも、僕の自由。しかし、最早ひとりぼっちではなく、多くの人が案内してくれる。
 夢は、資格とキャリア、知識と人脈、そして人間性の成長次第。でも、成長や目に見える成果よりも、次々展開する日常の中で、自分を見失わないことの方が、大切になった。
 「頑張る自分」「人の役に立つ自分」「成果を出す自分」にこそ、世の中は価値を見出すのだと思っていた。でも、急にその自分にとって”世の中”だった人たちが、現場の職業人だったり、人生の先輩だったりするようになった。僕の「頑張り」や、その「成果」の大きさは、その人たちにとって、問題ではなかったのだと気づいた。先輩たちは、僕の未来を見据えて、いつも話をしている。既に能力は認められており、その上で、僕を育てようと接してくれている。僕はそのことを、ようやく受け止めることができた(と思う)。

 思えば、学校教育課程の6・3・3・4年間には、いつも卒業というゴールがあった。しかし、職業人生は、退職か、それ以降死ぬまで続いていく。その違いをまだ僕は、捉え切れていない。ましてや、これからのキャリアデザインは、自由度を増していくらしい。

 これからの働き方ってやつは。仕事一筋じゃなくて、程ほどに仕事はして。キャリアアップを目指したり、勉強したり、好きなことしたり、遊んだり、パートナーと過ごしたりして。人生の時間を豊かにしていくことが、結果的に、職業人生を豊かにしていく、ということなのかもしれない。

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