研究がボツになる瞬間――あるいは新しい問いの浮上

 研究がボツになる瞬間というのがあります。

 それは大体が、想定していたことと事実が違うことが原因です。研究に関する記事は巷に多いですが、上手くいかなかった裏側をお話することはあまりありません。今日はそのような話から始めてみます。

 さて、最近実体験として研究がボツになることがありました。何の研究かというと、「すきぴ」という言葉についての考察です。先日から「すきぴ」という言葉について考えていました。

 はて、何の研究をしているのか? と思われそうですが、わたしは大学院で言語について学んでいました。今は個人で文章を書いています。言語学というと難しそうですが、対象は人々が話す言葉です。なかでも若者が話す言葉は興味深く、最近は「すきぴ」という言葉が面白いなと考えていました。

「すきぴ」とはSNSなどで若者によく使われる言葉で、好きな人のことを指します。もうこの言葉も古いのでしょうか。

 この「ぴ」は何なのか? これが今回の問いの始まりです。予想としては、おそらく「ひと」が変化したものなのではないかと考えました。

好きな人 すきなひと すきぴ

のような変化です。ここから、

「ひと」を「ぴと」と読む文化は実は以前からあったのではないか。
それは「何人」(なんぴと)である。

という論証をしていきます。そして若者はこのような読みの文化を感覚的に会得しており、状況によって使い分けているという仮説が立ちました。

 しかし、よくよく「すきぴ」について調べると、それは「好きなピープル」が語源であるということがわかりました。

「ピープル」かい。

 おそらくそのような呟きを発していたと思います。しかし何よりも、これを公にする前にわかってよかったというのが第一の気持ちです。このような想定外の事態を防ぐ為にも「研究計画」が院試で課されているのです。

 今回の話はわたし個人の試みの中でのことで、小規模な話です。しかし研究を生業とする方にとって、研究過程でこのような「思ってたのと違った」の発生は結構ショックな出来事です。

 本業の研究者であれば、ここまでの論証や資料の収集でかなりの時間をかけています。そのため、どうしても研究成果にねじ込むという強硬手段をとるかもしれません。例えば今回の場合では、「すきぴ」の使用者の中には「ぴ」を「ひと」の破裂音「ぴと」として使用している者もいるとか……。しかし、そのように事実を曲解することは、結果的により興味深い考察を逃す可能性もあります。

 それはたとえば次のような問いです。
・peopleのような(純粋な?)英単語を組み合わせる若者言葉は他にあるか。
・peopleの「ぴ」だけが残ったのはなぜか。

事実や資料をもとに言いたいことを強行するということは、このように新たに浮かび上がる問いを見逃すということです。

 もちろん研究ではそうしなければならない時もあるのですが、それはとても苦しい心持ちです。

 さて、ピンチはチャンスとは、言うのは簡単です。でも事実なのかもしれません。

 わたしの経験を振り返ると、研究や課題における「そもそもこれって」という問いの浮上は、実はプラスの意味での課題でした。それは、この山を越えれば考察がより豊かなものになるというような……。そして意外と最後には言おうとしていたことに行き着く、というような。

 さて、蛇足が増えてきたのでこのあたりで終わりにしましょう。何事も計画通りにいかないものです。

 ところで「好きなピープル」って……。かつてこういう組み合わせをしたおじさまがいたような気がするけど。


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