自らが「働く人」になれないか――企業でなくてもできること。

 すべてが個々になってきている現代。
 大きな企業である必要性はあるのだろうか。

 現代は通信手段やSNSなどの普及によって、情報の発信も受け取りも、クリエイティブな作業もそれを実際の形にしていくことも、個人が一貫して行えるようになった。働き方の形が変わりつつある。

 テレワークによる働き方の変化は、現代のビジネスに関わる者であれば誰もが実感しているだろう。コロナ禍が影響して自宅にいながらも仕事ができるようになった。「自宅にいながら仕事ができる」、それはつまり機器や環境さえあれば「どこにいても仕事ができる」ということだ。都市に居を構える必要は必ずしもない。働き方が変容した今、地域社会再興、地方創生の可能性が高まっている。

 大きな企業に入るために就職活動をする。
 その在り方も変わるかもしれない。クリエイティブな仕事、特に個人の技量や裁量が大きいものは、大企業や名の知れた企業であっても結局のところは個人である。その所属している組織の持っている基盤を活かせることは大いにある。しかし、文章を書いたりアイディアを出したりするのは個人だ。課題を見つける、誰にアプローチをかけるか、有効な方法は何か。それは個人が考え生み出していくものだ。特に新規事業においては、そこに携わる個人の力がどれほどか、それが大きな影響をもつ。

 どこに所属するかよりも、何ができるか。自分にどれだけの技術があるか。それが個人に求められる時代に変わりつつある。いいものであれば時間はかかれど評価され広がっていく。そしてそれは新しいコミュニティになり、社会的に価値をもたらしていく。

  働く場所がない、雇ってくれる企業がない。
  それならば自らが「働く人」になれないか。

 最近わたしがよく考えていることだ。「採ってもらえないなら自分でやってやる」。ただそれには自らのアイディア、技術、ネットワーク、信頼できる仕事仲間のコミュニティ、そのようなものが不可欠だ。

 働くとは何か。
 それは、どこに所属するかではなく、仕事における自分のフィールドを耕していくことかもしれない。

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