文系院進学を考えている人へ(1)

 文系の修士課程への進学が具体的にどんなものなのか、メリットやデメリット、その後のことなど書いていきたいと思います。ここに書くことは個人的な感想なので、すべての人に当てはまるわけではありません。一つの意見として捉えていただけるとありがたいです。またここに書くことは文系のことに限ります。大学院は文系、理系でかなり環境やその後の就職への影響が異なるかと思います。

 大学院には修士課程と博士課程と二つの課程があります。課程とはコースのようなものです。修士課程は博士前期などと呼ばれることもあります。大学院入学というと、まずは修士課程への入学になり、修士課程を修了した後に博士課程にすすむかどうかを決めます。修士は通常2年間でその間に論文を書き、修了と同時に就職できるように就職活動を行います。

 昨今の情勢が影響し、大学院への進学を考えている方が増えているのではないでしょうか。インターネットには文系院進学についていろいろと情報がありますが、意見が偏っている感も否めません。(良い情報を発信しているブログなどもありますが)。実際の所どうなのか個人的な感想を記します。

 個人的な結論を先に言うと、文系の大学院進学をすべきかそうでないか、は人によると思います。

 そりゃそうだというツッコミが聞こえてきそうですが、リアルな所これです。つまりどういうことかというと、文系の院へ進学した、ということにおける全員に共通するような素晴らしいメリットのようなものはないということです。(教員免許を取得済みの方は例外ですが)。

 大学院というとなんだか頭がよさそう、難しいことを研究(?)していて格好がつくというようなイメージがありますが、実際の所それも人によります。院進をしたところでそういう研究室に入れるか、自分がそうなるかどうかは保証されません。

 悪いことばかりを書いているようですが、そんなことはありません。ここまで書いたことはつまり次のことです。大学院進学において重要なことは、突き詰めて考えたいこと、学びたいことがあるかどうかということです。大事な2年間を学びということに費やすこと、そのものに自分が大きなメリットを感じられるかどうかです。極論を言ってしまえばそこに見返りを求めずに、ということになります。(実際学位は取得できるので現実のメリットがゼロというわけではありません)。

 進学する大学にもよるとは思うのですが、実際の感想としてここが一番大きいと思います。修士はチームプレーの部分もありますが、しかし現実はほぼ個人です。個人的な学びの時間を「たのしい」や意義のあるものと感じられないと結構きついです。もちろんこれは「やっていくうちに」ということではありますが、そもそも考えたい問題が自分の中にある場合は割とスムーズによい波に乗れる気がします。ほかの院生や教員との議論の時間ももちろんたのしいし、充実しています。しかしその時間よりも圧倒的に個人の時間が大半を占めます。

 あとはこれもリアルな話になるのですが、自分の指導をお願いする教員と相性が合うかという問題があります。どれだけ個人的な学びが充実していても、ここが難点になると院生活は泣きます。研究というのはおもしろいもので、テーマにその人の人生が写されているなという気がしています。指導をお願いする教員の研究が、いろいろな雑念を無しにして自分にとって感動できるか、この人に学びたいと思えるか、そこが重要です。もしそうであった場合、コミュニケーションの表面の部分ではぶつかることもあるかもしれませんが、深層の部分ではお互いに敬意を持てる存在になる気がしています。

 さて、続きですが、院進学をするにおいて次のことも大事なことになってくるかもしれません。それは本を読むこと、考えること、自分の意見をまとめること、執筆することが今の段階である程度たのしいと思えるかどうかです。もちろん習慣によってたのしいと思えることが変わるということはあり得ます。しかしものを突き詰めて考えたり、本を読むことがたまらなく苦痛であるという場合は、これも院生活が苦しいかもしれません。(本を読むことが苦手ということについては、学びの期間にそれがなぜなのか考えることも、個人的にはおもしろいかなとは思うのですが…)。

 やや長くなりました。ひとまずのところここまでにして、就職やキャリアのことについては別の機会でと思います。
 一番有益でリアルな情報は生の声です。周りに院生がいる場合は聞いてみるといいと思います。

(つづく)

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