言葉を歩かせる

 今日も仕事終わりに散歩をして帰る。
 なんだか最近、右脚のふくらはぎだけやけに痛いと思ったら、右肩にバックをかけて何時間も夜道を歩いているからだった。毎日取り憑かれたように散歩をしているのは、日中のもどかしさを何とか埋め合わせしようとしているのかしら。

 街を歩いていると本当にいろいろな発見がある。東京はこんなに坂が多かったのかと驚いた。それもちょっとした坂じゃなくて、かなり急勾配が多い。生まれてからずっとこの土地にいるはずなのに、あまり気にしていなかったな。硬いヒールで登る坂は、脚にも靴にも響く。また靴底が減ったかも。

 自分についての発見もあって、わたしはとにかく歩き回らないといけないとわかった。具体的にもそうだし、比喩としてもそうだ。新しい出会い、新しい場所。自分で歩くことができないとだめになってしまう。散歩はいろいろなことを気づかせてくれる。

 東京の有名大学の前を通った。
 広い校舎に高いコンクリートの壁。夜の街に潜むそこには荘厳な学問の雰囲気が漂っていた。

 わたしもかつてはこういう場所で研究に取り組んでいたんだなと思った。そして逃げたんだなということも毎回思う。でも今は言い訳のように、「自分は歩き回る時間を作っているんだ」と思えるようになった。本の中の言葉を生きた言葉に、あの図書館の書棚に閉じ込めておくのではなく歩き回らせるために、わたしに何ができるだろうか。

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