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本が読めるまで。(2)

 〈本が読めない〉という記事を先日書きました。タイトルにあるように、本が読めるようになりたいというのが一番の望みであり、そのための日々の記録をつけていこうと思います。

 前回も書きましたが、〈本が読めない〉というのは物理的に読めないというわけではありません。どうしても文字を受け付けない、読むことが精神的ストレス要因となってしまうという状態です。

 なぜそこまでして読めるようになる必要があるのか、それはやっぱり自分にとってのたのしみは読書の中にしかないのではないかと思うからです。考えたり、考えたことをまとめて書くということが好きなのですが、それには読書や古典的な知識を知ることが不可欠です。論語に次のような言葉があります。

  子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。
  (子曰く、学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し。)

 「罔」はあまり使わない漢字ですが、「くらい」、「ない」という意味を持ちます。「くらい」とはつまり「あかるい」の対義語です。「あの人はITにあかるい」と言えば、「詳しい」、「精通している」というような意味であり、反対に「くらい」は、「よく知らない」、「無知である」というような意味になります。この論語が意味するところは、「学ぶ(知識を取り入れる)だけで思う(思考する)ことをしなければ、それは無知であることと同等であり、思うだけで学ぶ(知識を得る)ことをしなければあやうい。」ということです。

 この言葉は自分の中でとても大切にしている言葉です。いろいろとものを考えることは楽しいので、どんどんと言葉が出てきて、考えが出てきて、それが文字になってという風になりますが、それには知識や先人の考えを知るということも同時に行わなければならないなと思っています。なぜならそれがないと、「あやうい」からです。思考は〈書かれたもの〉から学ぶということがなければ「あやうい」ものだなと実感しています。どこまでもいってしまいますからね。

 そういう意味でも、〈書かれたもの〉から何かを学ぶということは大事だなと思うのです。そしてそれが苦痛ではなくできるようになりたいと思うのです。

 (続く)

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