日本語教育能力検定試験合格体験記(1)
以前、「日本語教育能力検定試験」という資格試験に合格しました。日本語教師の資格試験です。
受験は2020年。受験回数は1回。
色々と考えることが多かった受験だったので、いつか体験記のようなものを書こうと思っていました。ところが日々の慌ただしさにかまけてしまい、先送りしたまま2年が経ってしまうという体たらく。
そろそろ整理しないと記憶が薄れてしまいかねません。
そこで今回から数回に分け「日本語教育能力検定体験記」を掲載します。
1 はじまりーある体験
そもそも、英語を教えている僕が日本語に興味を持ったのは、フランス語の授業を聴講したことでした。出講先のひとつにフランス語科を併設している学校があり、聴講する機会があったのです。担当はフランス人の先生でした。フランス語の母語話者がフランス語だけを使い授業をすすめる、いわゆる「直接教授法」のクラスでした。
自分が「生徒」になったのは久しぶりでした。フランス語と英語の違いについて発見もあり、大変に興味深く聴講できました。
その時、僕の印象に強く残ったことが2つありました。
そしてそのひとつが、僕を日本語の世界へ向かわせることになります。
2 二つの発見
1つは、アルファベットの板書は楽だな、ということ。
綺麗な筆記体でするすると例文を書いていきます。文字を書く時に話が止まらず、授業のリズムを止めずに情報を整理できます。アルファベット(正確にはラテン文字と言います)はなんて楽なんだろう。
これ、いつも悩ましく思うことなのです。
コメントを整理するために板書する。
ところが漢字は画数が多い。
楷書体で丁寧に書くと、その度に思考が止まってしまう。
自分の説明と思考に文字が追いつかない。
それがなんとも、もどかしい。
明治のある時期、ローマ字を使って日本語を表記しようという流れがありましたが、その提唱者の気持ちがちょっとだけわかりました。
もう1つは、「直接教授法」の面白さです。
母語を教えるのは楽しそうだ、ということ。これです。
僕の第一言語は日本語で、英語は外国語です。
ですから僕は「外国語を、学国語として」教えています。
語学学校で教える際の立ち位置も、
「英語を理解していて、それを日本語で詳しく説明できる人」です。
「しっかり英語を書きたい、もしくは話したい」
「英語のルールが知りたい」
「正しい英語で部下になめられないようになりたい」
このような方々が、私の元にやってきます。
以下のようなやりとりが毎日繰り広げられます。
受講生「(ある例文を引き合いに)こういう表現はありなのか?」
わたし「文法的には〇〇と言えます。だからありです」
わたし「〇〇の本にはこのような見解がありますが、他の見解もあります」
わたし「学校文法では扱いませんが、〇〇という作品に〇〇という似た例がありましたよ」
要するに、全て根拠を示して答えるわけです。
わからなければ調べます。
徹底的に調べます。
「えーわかんないけどなんか変だよね」
という態度は取りません。
ていうか取ってはいけません。職業倫理です。
ダメ、絶対。
(ちなみにこれ『良い先生を探す極意』です)
3 「母語」を教える
もちろん、母語を教える場合にも、指導者である以上、全て根拠を示して説明するのは当然でしょう。
ですが、決定的に違うことがひとつあったのです。
例文の「ありかなしか」について「すぐにわかる」から説明が始められる、ということ。
「あれの、白いのシャツを、ください」
皆さんが日本語話者であれば、上の文に対して、一瞬で「なし」と判断できるでしょう。日本語教師はこれに理論をつけて説明するわけです。
「わかる」からスタートする。
そういう世界がある。
大きな驚きでした。
コペルニクス的転回というか、世界観が変わるような感じでした。
外国語に限らず、勉強というものは「わからない」が出発点である。
「わからない」から「わかる」へ、
そしてさらに「わからない」がみつかり、
「わかる」になることもあれば、
「どんどんわからなくなるけどおもしろくなってくる」
になることもある。
それが勉強だろう。
でも母語はそうじゃない。
少なくとも目の前の例文に関しては「わかる」。
わかるんです。
わかるんですよ。
まるで新しい世界を発見したような瞬間でした。
そして後日、ネットで日本語教育について調べてみると日本語教育の資格が存在することを知ったのでした。
(続く)
オーキッド外語学院代表。株式会社オデッセイ・グローバル代表取締役社長。トフルゼミナール、アテネフランセ等で教鞭をとる。高校生、大学受験生、社会人を対象に大学入試対策、TOEIC対策を担当。テキスト執筆、ビジネス翻訳も手がける。https://orchid-gaigo.com