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【軽羹読書録】岬/中上健次

ご機嫌よう。kalkanです。

中上健次氏の『岬』を読了しました。

先日の「『太宰抜き』したい私が最近読みたいと思う5冊。」のうちの1冊だったわけですが、いやー…読み終わった後、しばらくその余韻から抜け出せませんでした。

気づいたらどっぷりと世界に浸かっていました。初夏という季節も、なんだか作品の世界とリンクしていて、余計にだったのかもしれない。

それでは今回もお付き合いいただければ幸いです。

作家の郷里・紀州の小都市を舞台に、のがれがたい血のしがらみに閉じ込められた青年の、癒せぬ渇望、愛と憎しみ、生命の模索を鮮烈な文体でえがいて圧倒的な評価を得た芥川賞受賞作。この小説は、著者独自の哀切な主題旋律を初めて文学として定着させた記念碑的作品として、広く感動を呼んだ。『枯木灘』『地の果て 至上の時』と展開して中上世界の最高峰をなす三部作の第一章に当たる。表題作の他、初期の力作「黄金比の朝」「火宅」「浄徳寺ツアー」の三篇を収める。

ひたすら生ぬるい泥に浸かっているような感覚だった。

そのまま上を見上げると、高い空が広がっていて、ぼーっと眺めているうちに肩や腕についた泥が乾いてくるような、そんな感覚に近いというか。

主人公は非常に複雑な家庭環境で育ち、実の父親の血が自らに流れていることに嫌悪感を抱く。そしてそのまま、腹違いの妹と肉体関係を結び、終わりを迎えるという、なんともタブーな世界観。

だけどどこも汚らわしいとは感じさせず、主人公の父親に対する嫌悪感や、腹違いの姉や兄たちへの想い含め、すべての心情が、紀州という自然の描写で如実に表現されているので、どこか爽やかな印象も受ける。

こちらの作品には表題作の「岬」を含め、初期の3作品が収められているが、どの作品にも著者のトラウマである「兄の死」が描かれており、著者の苦く苦しい心情がこれでもかというほど伝わってくる。

そして短い文を積み上げ、重ねていくスタイルで書かれていくこの作品は独特なリズムを奏でており、例えば私たちが何かに悩んでいて、それが頭の中でもやもやとしつつも日中仕事をしたり勉強をしていて、だけどどうにも集中出来なくて時折もやもやと考えてしまう。でも「ああ、考えちゃダメだ、集中集中」なんて頭を振って作業に戻り、それの繰り返し…というリズムになんだか似ていて。

なんていうのかな、思考が続かない感じ。集中できないあの感じ。あのリズムを彷彿とさせる。

また、主人公が日中仕事としている土方の、土を掘るリズムとも共鳴して、更に物語へグイっと引っ張られていく感覚になる。

【主人公と"土方"という仕事】

主人公は土方仕事をしているわけだけれど、まさに「自然と調和」しているというのにふさわしい。

体を一日動かしている。地面に坐り込み、煙草を吸う。飯を食う。日が、熱い。風が、汗にまみれた体に心地よい。何も考えない。木の梢が、ゆれている。彼は、また働く。土がめくれる。それは、つるはしを打ちつけて引いた力の分だけめくれあがるのだった。スコップですくう。それはスコップですくいあげる時の、腰の入れ方できまり、腕の力を入れた分だけ、スコップは土をすくいあげる。なにもかも正直だった。土には、人間の心のように綾というものがない。彼は土方が好きだった。
198ページ

この場面を読んだとき、実際に太陽の日差しをジリジリと感じたような気がした。風がふっと吹いた気がした。土の匂いがした気がした。恐らくそれは、この独特なリズムによるものだと思う。

畳み掛けるような、すこし焦燥感を感じさせるような、有無を言わさず次へ次へと読ませるこのリズムが、否が応でも情景を思い浮かばせる。

そして「なにもかも正直だった。土には、人間の心のように綾というものがない。」というこの一言が、主人公が常に自らの血縁やそれに伴うしがらみについて考えており、悩んでいるかを助長している。

主人公は義理の父親とは口をきかない。だが、母親や腹違いの姉たちには優しい。姪っ子や甥っ子たちにも優しい。

そして煩悩というものがほとんどなく、部屋の中には無駄なものはない。
愚直な性格。温厚で静か。だけど、そんな彼の中では自らの血縁に対する苦しみや苛立ちが常に沸々としている。

この「オンとオフ」のような主人公の内情が、この土方という仕事で表現されているのが非常に興味深かった。

【兄の死と自己犠牲】

彼だけが、姉や兄たちと出自が違う。
そして、彼が12歳のときに、腹違いの兄が命を絶ってしまう。
それは、母親が自分たちのことを放って、主人公だけの面倒を見ていたことによる怒りや悲しみ、嫉妬の感情からくるものだった。

主人公はその出来事をずっと、心の中の傷として持ち続ける。
そもそもそうなってしまったのはなぜなのか。
自分の本当の父親が、母を唆しさえしなければ自分は生まれることはなかった。
そうすれば、兄や姉たちは悲しい思いをすることはなかった。

そんな自己犠牲のような気持ちを抱きながら、同じ血を引く妹に会いに行く。そして同じ血が流れる心臓の鼓動を感じる。

兄の死により、心から姉たちと相容れることが出来ない。
そんな悲しさや申し訳なさから、本当の血縁の濃さを妹に渇望する。
だからと言って何かが解決するわけではない。
憎くて仕方がない父親の血が流れているということを再認識するだけなのかもしれない。

だけど、それ以外にどうすることもできなかったのだろう。
それが最善だとは言えないし、彼が満足できたとも思えない。

そんな鈍い、曇天のような余韻を残す。
そして読了後、私はその余韻から抜け出すことが出来ず、しばらく電車の中でボーっとしてしまった。すごい作品だったなぁ。

【軽羹感想録】

作品の特性上、現代にふさわしくない表現もあるし、方言で語られているので、読みやすいかと言われれば…というのが正直なところなのですが、私はこの先、この作品を何度も読み返すだろうなと思います。

こちらの「岬」は『紀州サーガ』と言われる三部作の始まりにすぎず、実は続きである「枯木灘」はすでに手元にあります(笑)

これからまだまだ登場人物が増えていき、60人近くになると聞いているので、メモ必須で臨みたいと思います。

というわけで本日もお付き合いいただきありがとうございました。
またお会いしましょう。kalkanでした!

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