先人達に学ぶ恋。
私は高校は理系、大学は経済学部出身なのですが、古典の授業が大好きでした。
今はもう、古典文法なんか忘れてしまいましたが、今でも、古典作品に関する新書を読んだりします。
高校1年生と2年生の時に担当だった古典の先生は、授業がとても分かりやすくて面白く、大人気でした。
古典作品は、現代の言葉と全然違いますし、漢文に至っては、日本語でもありません。
古典作品を楽しく読むには、古典文法を身に付ける事、そして、その物語の背景を、予備知識として持っている必要があります。
大人気だった、古典のH先生は、文法の説明も分かりやすく、そして、物語の背景を、上手くストーリー立てて話してくれるから、物語の世界観にとても引き込まれる。
ある時、授業で伊勢物語(多分そう)を扱っていた時の事。
伊勢物語は、恋愛を主題とした歌物語。
主人公は、実在した平安貴族、在原業平だろうと言われています。
この物語の中で、まあ、現代でいう浮気のシーンがあります。
平安時代と言えば、男性が女性の家に通う、通い婚が一般的。
現代のような一夫一婦制ではないので、男性は、複数の女性の家に通っていても良いし、逆に女性の家に、複数の男性が入り浸る事もありました。
実にやきもきする制度です。
伊勢物語の中で、ある女性は、意中の男性に、別の女性(別の通い先)の影を感じます。
ある時、女性は、男性が自分の家を出た後を追い、彼が、険しい峠を越えて別の女性の家に通っている所を目にします。
ここで一句。
その時の情景やら心情が、五・七・五・七・七のリズムで詠まれます。
さて、昔の言葉で書かれた短歌を読んだだけでは、とても意味が分かりません。
そこで古典の授業や試験では、その和歌が持つ含意を読み取り、現代語訳をする質問が出てきます。
古典単語を現代語に戻すだけでなく、和歌で使われる手法や、それまでの話の流れから見える作者(和歌を詠んだ者)の心まで踏まえて、現代語訳しなければなりません。
古典の授業なんて無駄だと思われてがちですが、今冷静に考えると、これほどクリエイティブな授業も無いのでは。
人の気持ちを想像し、それを言語化する。
社会人に必須の能力ですね。
この質問が出された所で、先生が生徒達を指名していきます。
H先生は、月と日の数字を出した数の出席番号の人(3月9日なら、12番)から順に、座席の前後左右の生徒を当てていくスタイルでした。
その日も、該当者から順に、当てていく。
がなかなか、正解に辿り着かない。
恋に不慣れな高校生だからか、「分かりません。」の一言が続く。
私はと言えば、結構自信がある答えを持っていた。
でも、そんな日に限って少し離れた席。
あまりに「分かりません。」が続き、授業の終了時間も迫っていた為、仕方なく先生が答えを言うことに。
正確な答えは記憶にないのですが、女性が、こんな季節(気候?)の中、峠を越えて行く男性の身を案じる歌でした。
え?
私は一瞬、呆然。
え?身を案じてるの?
そんな事までして、その女のところに行きたいか。
と思ってるんじゃなくて?
自分の心の貧弱さを恥じました。
私は、男性の身体を気遣うのではなく、「あなた、そんな辛い思いまでして、あの女のところに行きたいのね?(怒りマーク)」みたいな歌かと思っていたのです。
はぁ、当てられなくてよかった。
あの授業を受けてから約10年が経過しますが、未だに自分の元を離れていく男性の身を案じられる程には、成長していないような気がします。
※因みにトップ画像は、今読んでいる本で、
髙樹のぶ子さんの「伊勢物語 在原業平 恋と誠」
※当時の事を思い出しながら書いているので、作品の内容等に誤りがあったらすみません。
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