見出し画像

"自分で"判断する事。


私が、勝手ながら文章の師と仰ぐ、さくらももこさんがこう仰っていました。

「自分が本当はどうしたいのか、もっともっと考えるべきだと思うんですよ。生活の細かいことまで自分の選択なのだということを意識しながら常に細かくいろいろ考えたほうがいいと思いますね。」

-『ツチケンモモコラーゲン』より。

今から約16年前に発売された、さくらももこさんと、土屋賢二さんという教授先生との対談形式のエッセイです。

日々の細かい「選択」は、その人の人となり、引いてはその人の人生をも表すものだと、私は考えています。

先日、80代の方との会話の中で、こんな話を聞きました。
煙草が話題にあがった時。

「今はさ、煙草が身体に悪いって、みんな知っているでしょ?でも昔はね、国が煙草を吸う事を勧めてたのよ。それによって儲かる人達が、沢山いたんだろうね。」

国が煙草を推奨するなんて、今の価値観で測ると信じられない話ですが、戦後、とにかく経済成長が最優先だった時代に於いては、考えられない話でもないかもしれません。

それぐらい、常識なんて、あっという間にひっくり返されるものです。
常識なんか、あってないような物とさえ、言えるかもしれません。

ですから、何かを選択する上で、「それが常識だから」「周りも皆、そうしているから」「テレビでそう言ってたから」等という理由で決めるのは、賢明でない時もありそうです。

コロナウイルスによる自粛。
マスク生活。
ワクチンの接種と副作用。

「テレビや新聞の言っている事は間違いだから信じるな!」等と言いたい訳ではありません。

そうではなく、
マスコミの報道が、情報の全てではないこと。
かつての煙草がそうであったように、国でさえ、国民を正しい方向に導かない事だってあり得ること。


マスコミも国も、動かしているのは"人"です。
そこには当然、偏りも意図も生じます。当たり前です。

「テレビが言っているから」
「国から求められているから」
そういう理由で物事を決定する事は、
言葉を選ばずに言うと、思考停止と同じ事です。

自分が何故、この選択をするのか。

自分自身への問いかけは、日常生活の質を上げ、
自分自身がどんな人でありたいか、どんな人生を送りたいかに気付く、きっかけになると思います。


この記事が参加している募集

#推薦図書

42,602件

#最近の学び

181,685件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?