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11月21日、ランチタイム

絶対に終わらせないといけない仕事が、一応ひと段落した13時過ぎ。

本当は、ゆっくり外にお昼ご飯を食べに行っている時間はないけれど、毎日美味しいものを食べない事には何事にも身が入らないタチなので、ここら辺でそそくさとオフィスを出る。

忙しい日は冒険しないに限る。いつものネパールカレー屋さんに行こうと通りを歩いていたら、横断歩道手前の和食屋さんが何事か起こしたようで、パトカーが何台も泊まっていた。ドラマで見るような黄色いテープで店の前が囲ってあって、その道は通れず、迂回する事にした。

迂回する道を通りながら、ある喫茶店の前で足を止める。ここにはお昼ご飯に一回と、カフェ利用で一回、足を運んだ事がある。
ピラフは目玉焼きがのっていて、お気持ち程度のマヨネーズがかかっていた。
カフェ利用の時は、ココアにしたっけ。甘さ控えめで美味しかった気がする。

でも今日は、喫茶店のカレーの気分じゃない。今夜の残業を乗り切る為に、スパイスたっぷり栄養満点カレーにしないと。

喫茶店の前を通り、横断歩道へ出て、ネパールカレー屋へ行く通りを歩いていると、左手に蕎麦屋があるのが目に入る。
普段この道はあまり通らないから、蕎麦屋がある事に気が付かなかった。

店の看板の前でメニューを見る。私は普段、蕎麦はあんまり食べないけれど、その分、食べる時は必ず美味しい蕎麦がいい。失敗したくない。蕎麦って、意外とハズレも多いので、ちょっと慎重になる。急いで食べログで店名を調べる。「3.32」。悪くない。凄く美味しくはなかったとしても、不味くはないはずだ。

看板にあるメニューをもう一度だけ見る。昼の献立の横に、「長い間、ご愛顧いただき誠にありがとうございました」という手書きの文字が目に入る。

「もうすぐ閉店なのかな。でも、そんな事書いてないしな。」と思いながら、店に入った。

ちょうどお会計を済ませた女性のお客さんが、常連なのか、お店の方と2言、3言交わして、店を出て行く。

店員さんは全員で3人。

店主なのか、お爺ちゃんと言っていい年頃の男性が、隅の席にどかっと腰かけて、自分は一切そこから動くことなく、口だけで他の店員さんに指示したり、接客したりしている。

残り2人の店員さんは、1人がお婆ちゃんのようだから、奥さんなのか?そしてもう1人の女性が娘さん?娘さんは、びっくりするくらい普通の私服を着ていて、お客さんと見分けがつかない。

既に腰が曲がったお婆ちゃんが私を席まで案内してくれて、お茶を出してくれる。

特に美味しいという訳でもない、何の変哲もない普通のお煎茶。

テーブルに着いて、本日3度目のメニューを見て、夜までの体力をつける為に肉でも食べようかと、「肉南蛮そば」を頼む。鴨南蛮そばも気になるけど、ここは節約だ。鴨肉じゃなきゃ美味しくない、なんて事はないだろう。

注文を終えて、もう一度だけメニューを見ると、そこにも「長い間ご愛顧いただき、誠にありがとうございました。」の文字があった。
顔を上げると、壁のメニューにも同じ文章。

でもどこにも、閉店に関する情報はない。老舗の店で、「いつもありがとうございます。」の気持ちを込めて、このメッセージを出しているのか。
だとしたら、「ありがとうございました。」じゃなくて、「ありがとうございます。」でしょう。

今から5年ほど前、新卒で入った会社の研修で、「ありがとうございました、って言ったら過去形になって、それで終わりのような感じになるから、必ずお客さまにはありがとうございます、と言うように。」と指導をされたのを思い出した。

出て来た肉南蛮そばは、茹でた5〜6枚の豚肉と、ネギが入った温かいお蕎麦だった。
肉南蛮そばと聞いて、何をイメージしていた訳でもなかったけど、なんかイメージと違っていた。

まずは、スープを頂く。ちょっと甘くて、味が濃いような。でも悪くない。
続いて麺を頂く。こちらも悪くない。私が好きな十割そばじゃないだろうけど、うん、悪くない。

そう言えば、スープが黒くない。東京の蕎麦なのに。
あぁ、これは関西よりの蕎麦なのか。確か、関西の方がスープの色は薄いけど、塩分は高いと聞いた事がある。

豚肉と麺と葱とスープを交互に啜り食べながら、店員さん同士の話に耳を傾ける。この時間帯でもお客さんが途切れないようだから繁盛している店なんだろうけど、流石にもう忙しくはないようで、奥の席に座って話をしている。

私が座っている席は入口付近だから、会話の内容はハッキリとは聞き取れないけれど、辛うじて「明日はもっと〜」と言っている声が聞こえた。

なんだ。明日も普通に営業するのか。やっぱり閉店じゃないのかも。

そう思い直して、1.5人前はありそうな蕎麦を平らげる。
最後にちょっとだけお茶を口に含んで、奥のレジに向かうと、お婆ちゃんの店員さんが立ち上がって、お会計をしてくれた。
お釣りを待っている間、右の壁の貼り紙を見ると、そこにだけ「11月22日をもちまして閉店致します。」と書いてあった。


今日が11月21日だから、あと1日。さっき言っていた「明日」は、いつもの営業日の事ではなく、この店にとっては最後の営業日の事だった。

「ありがとうございます」とお釣りの50円を手渡された時に、お婆ちゃんと目が合う。心なしか、何かを噛み締めているような、ちょっと泣きそうな表情に見える。小さな声で、でもちゃんと聞こえるように、「ご馳走様です。」と呟いて出口へ向かう。
出る時もう一度だけ、「ありがとうございます。」と口に出してから店を出た。

そっか、閉店か。
あの文章にあった、「長年」がどのくらいなのか分からない。
あそこで働く人たちは、明後日からどんな生活を送るんだろう。あの店は、どうなるんだろう。

そんなことを考えながら、よく通っているポルトガルのお菓子屋さんまで歩いた。
残業時のおやつは、いつもここで調達している。

ここの店員さんは、マスク越しに伝わってくるかと思うほど、皆笑顔が素晴らしくて、愛想が良い。

私が店内に入ると、店員さんがショーケース越しに声をかけてくれた。
「今日は、何にしますか?」。

「今日は」という言葉の意味を、一瞬考える。

「これは、どんな味ですか?」初めて見るお菓子があれば、必ずどんな味か聞いてみる。聞いておきながら、結局、いつものお気に入りのお菓子を買うことが多いけど。

「あ、これ、食べたことなかったっけ?チョコのお菓子で、シナモンが効いてるよ。」

やっぱり。私の勘違いじゃなく、私がここによく来ていることを、覚えてくれているんだ。
かなりの人気店だし、テイクアウトだけの店だから、覚えてくれているとは思わなかった。

覚えててくれたから、という訳じゃないけれど、今日は、味を聞いた新しいお菓子を1つ購入。

小さな袋にお菓子を詰めながら、「いつも自分で食べているんですか?」と聞かれる。

「はい、残業の時に食べています。」

「お腹空くもんね〜。いつもありがとうございます。」

「いえ、どれも美味しいです。」

すると、店員さんが、奥の厨房に向かって、「いつも来てくれるお客さんが、どれも美味しいってよ〜」と声を張り上げる。厨房にいた3人の女性たちが、手を止め、満面の笑みで「ありがとうございます〜!」と返してくれる。

小さい袋に入った小さな焼き菓子を手に店を出る。 

オフィスに戻る間、何だか不思議な気がした。
ある映画で、「店には感情がある」と言っていたけれど、今日のランチタイムは、そういう店の感情に触れた時間だった。

同時に、繰り返される日々に、同じ日などないのだと思った。毎日同じ場所で同じことをしていているように感じても、昨日と同じ今日はない。今日と同じ明日もない。

何気ない日常の積み重ねや、ちょっとした人との繋がりが、目には見えないほど少しずつ、人生を変えていく。

帰りに、パトカーが来ていた和食屋さんの前に来てみたら、さすがにまだ、黄色いテープに囲われたままだった。
あのお店にも何か感情があり、店と関わりがあり誰かにとっての、何かの日となっているのだと思う。

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