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母との時間(2)

前回の、お話の続きです。

運転免許 

車の運転免許というと、18歳になったら取得できる。
私は、高校卒業後の5/8…今年で36年目に突入する。
父は、元自衛官だったので、自衛隊で取得、大型、大型特殊、牽引、玉掛け…
普通免許に印がなくて、いきなり大型から取得だったのは、自衛官だったからと父から聞いた。
750cc…ナナハンって言葉は、今でも通じるのかな?
父がまたがる姿は、カッコいい!
そんな思い出がある。
そして、父は、母と結婚するために、一般企業に転職をした。

母の兄に、
兵隊さんに嫁にだせるか!

伯父(母の兄)は、昭和元年生まれ、広島に原爆投下後に救援に行って被爆だった。父は、半年後に母を迎えに行った。母を生涯の伴侶として転職した父も、カッコいいな。自慢の父がいる。

母は住宅を購入し、引越してからパートに出るようになった。
その時に、原付き免許を取得。
車の運転免許は、父が、反対だった。
私が高校に入学してまもなく、ストーカー行為にあい、登下校を両親に守ってもらうという時期があった。
そこで、母が父を説得。
母は、46歳で車の免許を取得した。
ものすごいチャレンジャーだったと思った。半年後、私が教習所に通うと、珍しい名字だったこともあって、教官に娘さん?っと聞かれ、はい!というと、後ろ姿が似てるとも言われ照れくさかったな。
母は免許取得後、私や妹、父を駅まで送迎が日課となった。
そして、73歳で免許を返納した。
千葉の片田舎は、運転免許は必需品だったことから、納得してくれるまで何度となく話をした。

健康診断結果

私が嫁いだ後の健康診断で、体重を指摘され、減量を始めた。

伯母(母の姉)から電話があり

惠、最近家に行ったのは何時?
〇〇(母の名)病気じゃないよね?
どうしちゃたんだろう?

おばちゃん、病気って聞いてないよ。
近々、お母さんの顔見に行ってくるね!

慌てた伯母が気になり里帰り。
当時、埼玉に居たので、夫の仕事中に帰省すると、母の手首や顔がやつれたような印象だった。
急に体重落としたのが原因だと思う。

母に
おばちゃんから電話があってね、心配してたよ。

母は、
体重落とした方が良いって言われて…

食事療法で、減量だった。
メニューは、油をすべてカット。
働いていた母は、必要以上にカロリーを減らしてた。
ストイックなんだろうな…。

女性は、難しいお年頃(更年期)は、ダイエットは、慎重に行いたい。

母は、私が止めても目標体重まで頑張り続けた。53歳から始まった不調は、じわじわとやって来る。
骨粗鬆症は、更年期と密接な関係がある。

骨折

母は、63歳の時に自転車で転倒。
背中から倒れたことで、肋骨、胸椎、腰椎、骨盤にひびと骨折をした。

病院では、痛み止めとコルセットで対応。
入院すると、寝込むから自宅療養でとのことだった。
コルセットは、母の身体に合わせて作ることとなった。胸から腰まですっぽりとサポートするコルセットが出来上がってきた。

その後、足のシビレや痛みを訴えるようになる。脊椎狭窄症と診断される。

70歳過ぎてから、ブロック注射を受けて痛みを軽減するようになる。
痛いから、ブロック注射を受ける日々が続く。
父がインフルエンザの予防接種の副作用で高熱を出し、ドクターヘリで搬送されたことがきっかけで、父の入院する病院で母のセカンドオピニオンが、受けられることとなった。

セカンドオピニオ

大学病院で検査を受けると、骨粗鬆症がひどくて現状では、治療が出来ない。
手術してボルトを入れても、骨がスカスカだから、糠に釘状態となると説明された。それ以上に、日常生活の危険性から入院治療をすすめられた。
ある程度落ち着き、退院となったが、自宅で自己注射(ホルティオ)を行うこととなった。1年が過ぎ、骨密度の回復も許容範囲となり腰椎の手術をするために検査入院となった。

検査を受けに行っている母から電話があり、緊急入院すると…。
2015年5月28日の出来事だった。
入院準備に、自宅に帰ることも出来ない、心臓に問題がある、何時、心臓が破裂してもおかしくない状態といわれたと…。
心臓?
父が電話を変わり、ともかくお母さんの話相手になっててくれ…と、
父が自宅に帰り、妹の帰宅を待って荷物をまとめて病院へ。

動けない自分がもどかしかった。
父を待つ母との電話は、命綱のようだった。

この頃の私は、登録販売者の資格も取得していて、身体の構造や病気、薬の知識はあった。

父が病院に戻るまで3時間…途中、電話を切って、子ども達に連絡し、状況を伝えると、息子が病院に駆け付けて、その後、娘が合流してくれた。その後、子ども達の電話で心電図で心臓の弁膜が気になるとのことで、急遽MRIとなり動脈瘤が見つかったという説明をしてくれた。
頼りになる子ども達が、千葉に居て良かった!

自分で運転することができたことで、病院へ通う母に気が付かなかった。
ダイエットからはじまり、骨粗鬆症へ。
そして、骨折。
もっと傍にいてあげたら…。
葛藤だらけだった。

そしてこのとき、私は母に話せていないことがありました。

次回へ続きます。

お付き合いくださって、ありがとうございます。



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