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母との時間(1)

私の母の誕生日を期に、私の母への思いと母の病状や病歴から、お届け出来ることがあればと思います。
長くなりますが、お付き合いくださると嬉しいです。

私の母

5月1日
昨日は母の誕生日、81歳になった。
5人兄弟の4番目(兄二人、姉、弟)生まれ育った家は、大きな農家で使用人もいたという。祖母は、母が4歳の時に死別。祖母の命日は、1945年終戦の年の5月4日と聞いている。母は、お腹が痛いと転げ回って亡くなった姿が目に焼き付いているというが、顔も声も思い出せないという。

伯父(長男)の仕事の借金で、生家を追われた母は、祖父の姉の家に引き取られ育った。父と出逢い、54年連れ添った。

母の趣味

今は、亡き父の趣味を、引き継いで家庭菜園。父が書き残したノートを頼りに、ご近所さんや、祖父の教え子さん達が母に寄り添ってくれている。
写真が好きで、家庭菜園の写真を撮ったり、花の写真撮ったり。

iPhoneを使い、LINEもする。
Instagramのアカウントも持っている。

Instagramは、個人情報や肖像権のこともあるため、キーアカにしている。
私のフォロワーさんにお願いして、数名の方に、母のアカウントでフォローさせて頂いたりしている。
私もInstagramのサブアカウントは、母専用にして、見せたい写真をのせる。

子どもの頃の思い出

母は、料理やミシン、編み物が得意だった。お正月は、母方の伯父や伯母が母の料理を食べに集まった。1970年代初め、家庭でグラタンは、中々作らなかったようで、6歳離れた従兄弟が
「おばちゃん、グラタン作って!」
と、家に来ては、リクエストしてた。

母は左利きだった。
母に教わったことは、左利き仕様。

編み物をしていると、惠ちゃん、なんか変?器用にどうして反対から?
私は全く気にしてなかったのだけど、父方の従姉妹に指摘されて、私もびっくりだった。

母との長電話

毎週木曜は母に電話する。
地震、台風、雪、大雨。
ともかく声を聞く。
声の安否確認は、どういう状況か手にとるようにわかる。
父がヘビースモーカーだったことで、副流煙から肺気腫と診断された。
事故の後遺症に、心臓を患ったり、腰と膝の手術から、季節の変わり目や気圧の変化が辛いのがよくわかる。
そして、認知症。
アルツハイマーと診断されて、3年が経つ。

顔を見ないと忘れる

そう言う母、私も会いたい。

妹夫婦と二世帯住宅で同居してるものの、よくありがちな親子喧嘩も絶えない。

何かしくじると、妹の罵声。
萎縮する母。

傍にいると、毎日のことだから怒るのもわかる。

でもね、老いてく母には、厳し過ぎることもある。
久しぶりに母に会うと、愕然としたこともある。
なんでも器用に熟してた母。
野菜の皮のムキのこしや、掃除し忘れ、ものの置き忘れ。

「お母さん、これこれ🤭」
茶目っ気たっぷりに言うと、

『あら、またやっちゃった
こういうの見つかるとね、
○○○(妹の名)がね、
言い方が、けんもほろろなんだよ💦』

「親子でしょ😉」

『育て方、間違った。
惠とは、正反対だから…』

「娘が2人居て、良かったね。
いつでも、迎えに来るよ。
気晴らしに、こっちに泊まればいいじゃない」

母との会話は、いつもここにたどり着く。

ここ2年は、電話ばかり。

そして、私の電話は、他愛も無い話。

電話を切るときは、

『惠と話してると、落ち着く。
今夜も、よく眠れそうだよ』

そう言ってくれる。

『早く、お父さん迎えにきてくれないかな…』と、呟くときもある。

母は、親、兄弟、従兄弟、甥っ子も送った。

呟きに対して私は

「そうだね
お父さんも、幸せだったね。
でもね、まだ来ちゃだめって言ってるでしょ。
孫の花嫁、花婿姿見なくちゃね。
そして、曾孫もね。
そしたら、お父さんが
ご苦労さんって言ってくれるかもね」

兄弟の中でも、1番の長生きとなった。
生きてる、生き永らえてる命の重さを、大事にしてほしい。
みんなが、守ってくれてるよ。

4年前
誕生日が令和元年になるとはね
生きてて良かったよ

そんなことを言ってた笑顔が嬉しかった。

母の健康

交通事故

母が寝込んでる姿は、子どもの頃の記憶にない。
それくらい丈夫だった。
小学2年生のときに、帰宅すると隣のおばさんが夕飯のおかずを届けにきてくれてた。

玄関に立つ母の額に大きなガーゼ。
パジャマ姿だった。
手にも包帯で、思わず立ちすくんだ。

春一番の日の出来事は、事故にあった母だった。
伯母(母の姉)と、知り合いの家をたずねた帰り、知り合い宅の門を出て、伯母と妹が待つ車へ向かって歩いていると、風と共に砂が舞い上がる。
そして、母の身体も浮かび畑へ飛んだという。
母の持っていた鞄が、車のフェンダーミラーに引っ掛かり、はね飛ばされた。

目の上を数針縫う。
頚椎捻挫と、腕や足の打撲もあった。
頚椎捻挫から後遺症が残るとも言われた。

5歳の妹は、母の事故を見た。
泣きつかれて寝ていた。
そのあと、伯母が必要なものを買って来てくれた。
父も帰宅。
入院を拒んだ母は、父と大喧嘩。
子どもを思う母に、父は
「勝手にしろ!」
父も、怒りきれなかったんだろうな…。

父と母

50歳を迎えた頃、父の会社で夫婦で人間ドックを受けられたことから、毎年一泊二日でのイベントとなった。
人間ドックのあとに、ホテルで食事を2人でしてくる。
父が39歳の時に、会社の健康診断で、胃潰瘍が見つかり胃を5/6切除するということがあり、母の兄弟はことごとく癌を患ったとこもあって、父が心配してのことだったと思う。
「俺より先に死ぬな!」
父が母に言っていた言葉だった。
父の母へ対する思いは、無骨な言葉が多かったけど、母への愛を感じる。

なんだかんだと言って、仲睦まじい。
父は、定年退職となった時に、まずは国内、そして海外と旅行に出かけた。

そんな両親を見ていて、私も夫が定年を迎えたら、父や母が旅行した地を巡りたいって夢がある。

母の病歴

母は、60歳を過ぎてから通院が絶えない。
そして、怪我から運が良かった~って思えることも起こった。

大動脈解離

母に起こったケースは、稀なケース。
大学病院で、教授に

あなたは、運が良かった!

カンファレンスを聞いて、母の運の強さを実感した。

母より7歳若い甥っ子は、術後目覚めずだった。
「なんで助からなかったのか…」
涙する母に私は

『お母さんは、教授が言っていたとおり
運が良かったんだよ。

運てね、さだめともいうでしょ。

死ねない理由は、お母さんのさだめ
宿命ともいうのかもしれない。

まだ、死んじゃだめなんだよ。』

今の母との時間は、母の命をしっかり感じてもらうことだと思う。
老人性欝も気になる。
2月の脳神経内科の通院で、父が服薬していたクスリが処方されはじめた。
アルツハイマーが、進行し始めたからだろう。

今の母のやりたいことは、携帯を新しくしたい。お母さんはね、新しいiPhoneを握って死ぬ。

今使っている携帯は、iPhone7。
もう5年経ったかな…。
母にとっては、私との時間を過ごすアイテムでもある。
昨日は、夫と何がベストかショッピングモールで、携帯電話ショップで話を聞いてきた。
今日はディサービスの日だから、明日、連絡してみようと思う。

私が書きたいこと、母の大動脈解離が見つかるまでの月日は、次回に!

少しでも、思い当たることがあって、病院へ受診のきっかけを見つけてくれたらという思いを込めて…











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