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母との時間(3)

前回のお話の続きです。

カンファレンス

カンファレンスには、父と母、妹と、私達家族の7人で受けた。

担当の先生は、とても分かりやすく
家族の不安を、配慮してくださった。

カンファレンス前に妹から連絡で、
治療計画書が大動脈解離から大動脈瘤に病名が変わってるんだけど何なんだろう?

解離性大動脈瘤なんじゃないかな…と私。

血管が解離したところに、コブ(瘤)ができてるからなんだと思う。
大動脈解離=解離性大動脈瘤
とも言うはず
そんな話をしたのが、カンファレンス前日だった。

母のMRIとCT、心臓の模型をみせてくれての説明だった。
大動脈は、心臓の1番近い動脈である。
CTで、敗れた血管がわかった。
この動脈径は、
普通は、2.5〜3cm
母は、6cm
2倍以上の大きさになっていた。

解離が起きた瞬間、激痛に襲われるのが急性。
稀に2%位、痛みを感じない場合があるという。
そして、解離が起きて3週間が過ぎると慢性。
人間の身体は不思議なもので、弱いところを守ろうとする。
解離の起きた血管は、薄皮1枚の状態で、血圧がかかれば、破裂という危機となる。

母の場合は、その血管が厚くなっていたようで、破裂することなく動脈瘤が徐々に成長していった状態である。

月日にして2年以上前からと考えられる。

2年前に、セカンドオピニオンで転院した時の胸部のレントゲンで、既に大動脈の拡大を確認できた。

2〜3年前、背中の痛みと胸の苦しさ、手足のしびれを、確かに訴えていた。
それもこれも、胸椎と脊椎の骨折から来たものだと思い込んでいた。
ブロック注射に、頻繁に通っていた事を思い出す。

ブロック注射ですか…痛み止めも沢山服用してますね…
痛みが緩和されていた可能性がありますね。

そして、コルセットが功を奏したのかも…。

大動脈解離のタイプ

Stanford(スタンフォード)分類
Stanford A
上行大動脈に解離が及んでいる状態

DeBakey(ドゥベイキー)分類
上行大動脈のみ解離している状態

母は、前者のStanford A であり、
大きさから手術という方向性であるとの説明だった。
当然、人工血管に置き換えたこと、人工心肺装置を使うこと、何処まで血管を人工血管に置き換えるかで、手術時間も10時間から12時間と変わる。

先生の言葉を信じる

心臓が動いていると、作業がしにくい。
でも、血流を止めることはできません。

工事中の道路を思い浮かべてください!

通行を妨げることは、出来ないですよね。

心臓を止める
心肺停止

家族には、不安になる言葉であり、不安は募る。
先生の説明は、やさしくて分かりやすくて 、不安というより現実的だった。

術後のケアで、集中治療室での譫妄の対処の仕方もあった。
そして、今までの検査で、脳のMRI検査の結果の説明があり、軽い脳梗塞が見受けられること、手術中に脳梗塞が起きても、意識が戻るまで分からないということ…

脳梗塞と診断された場合、大学病院ですから連携がとれるようにしてあることも説明があった。

手術前に血管造影剤を使った冠動脈の検査の説明があり、今回の手術で冠動脈の梗塞もすべて解決したいとのことだった。

血管造影剤を使うと、腎機能が落ちる。
この検査から、手術まで約2週間、腎機能の快復も図る。

万全を期して、手術に臨みたい。

力強かった。

私は先生に

私達としては、倒れて搬送緊急手術でなかったことに、母の運の強さを感じます。
冷静にカンファレンスを受けられ、しっかり検査を受け、手術を受けられる。
脳梗塞を患った義父の画像より、母の脳の画像の方が綺麗です。
母のことは、先生…そして、病院にお任せします。

カンファレンスのあと、妹と私が署名した。
参加者の家族関係も聞かれた。

子ども達は、何かあれば私達夫婦より早くかけつけられること、娘に至っては、専門知識があることをふまえ、参加させた。

先生が娘の大学を聞いて、そうかぁ…と、
娘は、
先生に解剖学習いたかったです!
〇〇大学の卒業生いるはずだよ…
そんな会話も出てきた。

父のメンタル

カンファレンスが終わったのは、20時過ぎだった。
子ども達をそれぞれ送り、東名を走る。
疲れて、足柄SAで仮眠のつもりが、すっかり夜も明けて朝だった。
従兄弟から電話が入る。

父さんから電話もらった。
手術日が決まったって。
状況、教えてほしい。
説明すると、父さん勘違いしてるとこあるみたいだよ。
惠、父さんに電話して!
父さん、泣きじゃくっちゃって…

うん、わかった!
お兄ちゃん、ありがとう。

私の兄のような存在の従兄弟は母の姉の息子で、両親も息子のように可愛がっている。
こういう時は、心強い兄だと思う。

父に電話をすると、一言二言…
泣き出す父だった。
母が入院してからの父は、睡眠障害もある様子で、電話も頻繁だった。

惠は、平気なのか?
母さんの身体が、バラバラになっちゃうんだぞ。
心臓、止めちゃうんだぞ。
起きなかったらどうする?

お父さん、
お母さんは運が良かったんだよ
痛いと苦しむ姿は、無かったでしょ
そして、手遅れになる前にみつかったでしょ
奇跡だと思う
お母さんの運の良さは、生命力だよね
先生のカンファレンスで、先生に任せる!先生なら任せられるって思ったから、書類に署名した。
私は、お母さんを信じるよ。
お父さん、お母さん凄いね。
お父さん、お母さんを信じようよ。
そして、先生もね。

わかった…と、啜り泣く父の声は、このときが始めてで、最後だった。

そして、父の認知症は、振り返るとこのことが起きてからすすんでいったように思う。



次回は、手術のことを書きます。
お付き合いくださり、ありがとうございました。


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