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母との時間(4)

前回のお話の続きです。

手術日前に

父は、母が入院してから落ち着かない様子だった。
デジタルフォトに、メールで写真を送る。
新しい写真が追加されたことがわかると、電話を掛けてくれる。
嬉しそうで、同じことを何回も言う。
夕飯は?
そう聞くと、妹がお弁当を買ってきてくれたという。
母の手料理を食べていた父が、お弁当って…ちゃんと食べてるのか気になった。

手術に立ち会う前に、常備菜としておけるものを作ろうと台所に立つ。
なんだか泣けてくる。

気を持ち直して、蓮根を刻む。
あっ!
こともあろうか、自分の手を切る。 
やっちゃった!
キズ口、陥没…かなり深い。
タオルで止血して、当番医を探す。
20時過ぎだったので、二次救急へ電話。
夜勤の夫にLINEで連絡すると、直ぐに電話がかかってきて、救急車呼べと言う。

自分で行けるからと応える。
救急車は、もっと重篤な方へ…。
救急外来に行くと思うことは、
ほんとに必要?って思うこともある。

8kmを自分で運転して、夜間救急へ。

今、考えるとなんてことしたんだろうと思う。貧血おこして事故とかもあり得る状況だった。

左人差し指第2関節下をグサリ
左親指第1関節もだった。

人差し指は、靭帯も切断。
お医者様に、出来る限り縫合したよ。明日、病院受診してね。
今日1番の重症だな…。
最後から2番目の患者で、2時間半待った。
夫に言うと、そうなるから救急車の方が早いと…しっかり、叱られたけど後悔はない。
救急車で搬送されなくちゃならないキズじゃないからって思う。

私も動揺してたんだろうな。
カンファレンスから手術日までの1週間、片道250kmを1人で2回車を運転して往復した。
気も張ってた。

2回目に、母に告白したことは、

私も手術しなくちゃならない。
この秋にと思ってたんだけど、お母さんの快復次第にしようと思う。
術後、静岡に来てほしい。

母は、びっくりしてた。

惠?

検査、受けてるよ。
卵巣ね。
グレー、今はそれしか言えないかな。

わかってると思うけど、お母さんの兄弟は、癌を患って亡くなってる。

健康診断で、みつかったよ。
マーカー検査も受けた。
今のところは、大丈夫。
ただ、中身が良くないものだから、放置できなくてね…
だから、お母さんには仕事が残ってるんだよ。
娘の退院後を手伝ってくれないとね。


そう話すと、

わかった!
お母さん、手術がんばってくるよ。

そんな話をして、2日後の出来事で、母の手術の前々日の出来事だった。
私も、眠れてなかった。
親指は、お父さん指
人差し指は、お母さん指
治療を終えて帰宅したのは、23時回ってた。
家に戻ると一人
しみじみ泣いた夜だった。

手術当日

2015年7月7日
甥と姪は、高校生と中学生だったので、前日に母の顔を見に来た。 
我が家は、家族で談話室に居ると、従兄弟が来てくれた。
父と妹夫婦が来て、しばらくすると母が車椅子で看護師さんと病室から出てきた。ナースステーションの前で、みなさんのあたたかい言葉掛けがあった。
いってらっしゃ~い!
そう、送ってくれた。

妹夫婦は、終わる頃にまた来ると帰っていった。
子ども達も、講義があるとのことで、夫が送っていった。
父と従兄弟と私の3人が手術室前の控室に残った。

ソーシャルワーカーさんと面談

手術開始から3時間経った頃、
父は、椅子に横になり、寝始めていた。
従兄弟は、新聞とにらめっこ。
会社経営者なのに、今日はこちらを優先してくれた。
心強い。

ソーシャルワーカーさんが来て、渡したい書類と、署名がほしいという。

従兄弟に、寝ている父を頼み、面談室へ移動。

手術は予定通り進行してますよ。
お母さん、頑張られてますよ。
先生方も、最善を尽くされてます。

ひとつひとつの言葉を、噛み締めた。

書類を見て確認と説明があった。
大動脈の解離部分の血管と心臓弁膜を人工のものに置き換えること。
心臓弁膜を人工のものにするので、身体障害者の申請をすることになるとの説明があった。
用意するもの、そして、病院側に請求する書類、頭がパニックになりそうだった。

心臓弁膜を人工に置き換えたことで、心臓機能障害1級となる。

重たかった。
私ひとりでこの説明を受ける。

父が寝てくれてて、良かった。

説明を聞き終え封筒を持ち控室に戻ると、父は寝てた。

従兄弟に、

惠!大丈夫か?

お兄ちゃん、口から心臓が出そうだった。
手術は、順調だって!
お母さん、心機能障害で、身体障害者1級になる手続きをする。

あとね、カンファレンスのあとに決まったことがあって、心臓弁膜置き換えとなる。
人工の弁膜は、2種類あって
機械弁と生体弁というのがあって、
機械弁は、不具合がなければ一生持つけど、血栓ができやすいからワーファリンを、服薬して血が固まりにくくしなくちゃならない。
生体弁は、服薬しなくてもいいんだけど、寿命が10〜15年で再手術が必要になる。

お父さんとお母さんは、服薬をし続けることで、食べ物にも制限がかかるなら、食べたいもの食べて余生を送りたいって…
生体弁を選んだって…


そっか…父さんと母さんらしいな

このとき、一緒に居てくれた従兄弟。
兄と妹と思っている絆がある。
伯母の癌のときも、

惠…もう、いいよな

里帰りしていたときに、呼び出されて伯母のことを伝えてくれた。

だから私も、両親のことを相談できる。滅多に電話することもないけど、何かあって連絡すると、直ぐに電話を掛け直してくれる。

このとき
父に寄り添ってくれて、
この場に居てくれた。

妹じゃなく
夫じゃなく
子ども達じゃなく

兄のような従兄弟だったから、必要以上の言葉がなくても、わかってもらえた。

夫が戻り、義弟が戻って来た。
妹は、子ども達の帰宅を待つため、戻らず。
従兄弟は、義弟と入れ替えに帰った。

惠、また電話な…

うん!

夫や義弟への気遣いが、すごいなって思う。

手術室のドアが開き、母が出てきたのは、手術開始から12時間後だった。

その後、説明を聞き病院をあとにした。

次回は、術後のことを書こうと思います。今回もお付き合いくださり、ありがとうございました。

そして、明日、母のもとへ
甘えてきます!







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