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無限の努力。それは時に過剰な追肥にも。度を越えれば枯れる。ってはなし

「努力を惜しむなー」と言われたり、
「努力しか勝たん」と鼓舞したり。

世の中努力は正義のように言われます。

僕個人的にも努力した方が良いよなって思います。

「努力は実るか!?」

と問われれば、実ると思います。信じています。

でも、実際には実らない努力が多いかと…

ここで努力の仕方や、方向性を問う気はありません。

探せば『努力の仕方』なんてごまんと出てくるので。

それではないが言いたいかと言えば、

努力にも限度はあるぞ

てこと。

これは僕個人が、自然に例えて考えるのが好きなので思うことです。


父の教え

僕の父は洋ランを育てるのが趣味です。最盛期は500を超える鉢を育てていました。理容業の傍らよくもまぁ育てたものです。

店内から見えるように温室を作り、鏡一面に咲き誇こる蘭に埋め尽くされるぐらいでした。

お客様からは常々「どうしたらこんなに咲くのか?」と質問されていました。

質問されると、父は決まって

「水は枯れる手前、肥料は忘れたころに」

と言っていました。

詳しく聞くと

「皆高価な花だと思い過ぎて、大事に育てすぎ。蘭なんかジャングルで土にも埋まらず木の幹にへばりついてるぐらいだぞ。そんな花に水や肥料あげまくったら、葉だけが大きくなるか、根腐れを起こすだけ。自然のものは死ぬかもしれんと思うと子孫残すために花を咲かせるんだぞ」と。

確かにそうなんですよね。「やばい」と思わないと、本当に葉ばかりが育つんです。

そこで思うこと

さすがに人の発育には、栄養も水も必要です。間違っても抜かないでくださいね。

それでは『人の成長』ではどうなんでしょう…

努力は必要だと思います。特に覚え始めの時にはたっぷりと。

でもね。

成長しているのに「まだだ、まだだ」と追い込みかけるのはというと、正直どうかなって思います。

理由として

追い込み過ぎは時として現状理解を誤る

そこに楽しみがあればよいですが、神経質に追い込み過ぎる

必要を超えすぎ、次のステップに必要なものを学びそこなう

などを思うからです。

勿体ないと思いませんか?

せっかく努力してるんですよ。

それって凄いことなんですよ。

でも空回りしてるかもしれないんですよ。

それが表題にも書いた『過剰な追肥』って思う理由です。

まとめ

いかがでしょうか。

あくまで個人の努力に対する考え方です。

努力は推奨します。時に追い込むのも必要だと思います。

ただし、『過ぎたるは…』にならないのが前提で。

時と心に余裕と余白を。

時に休息と楽しみを。

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