無条件の愛

そのままの自分を丸ごと愛する。
何ができても、できなくても。
何をしても、しなくても。
今この瞬間の自分を無条件に愛する事。
去年、瞑想を始めた頃から、意識の何処かでこれが絶対条件なんだという確信がずっとあった。
そして何度も忘れては思い出した。
直ぐに望みの方へばかり意識が行ってしまっては「ああそうだった、自分を丸ごと愛していればそんなものは全て叶ってしまうんだ」と、意識を戻しての繰り返し。
そうやって毎日瞑想をしている内に、自分を丸ごと愛するという感覚が段々掴めるようになってきた。
身体的に、頭から爪先まで全てが愛おしいという感覚に包まれたり。
「ああ、このままでいいんだ」と、安堵感に包まれながら今この瞬間の自分の全てが愛おしく感じられたり。
そう、この「このままでいいんだ、そのままの私でいいんだ」という感覚にやっと最近なれた。
本当の意味で自分を丸ごと全部受け入れる事ができるようになった。
なった、というだけで、まだ常にその感覚で居続けられるわけではない。
けれど、その感覚を味わった事で、瞑想中や、自分に意識を向ける事でその感覚を思い出す事ができるようになってきた。
こうやって少しずつその感覚で居られる時間が増えていけば、常に心のホームに居られる安心感を感じられる筈。
そう、ずっと求めていた。ずっと望んでいた。
物質的な望みにいつも気を取られながら、本心が求めているのはこのホームの安堵感。
瞑想中だけでもそれを思い出しながら、まだ僅かに抵抗を続けるエゴの物質的な望みから一旦離れて今の自分へ意識を向け続けた。
そうか、あれはエゴだったのか、と、今書いていて初めて気付いた(笑)。
もうすっかり私の中のエゴとは和解できて大人しくなってくれたんだと思っていた。
やっぱりまだまだ気付かないところで出てくるんだな。
でも、前みたいに「この野郎!」という苛立ちは湧かなくなった。
前は暴走するエゴが邪魔で邪魔で仕方がなかったのに、今までエゴがずっと一人で私を守ってくれていたんだと気付いてカタルシスと共に大泣きしてからは、すっかり愛おしい存在になっているから、もう本当に、エゴを邪魔だと思う気持ちは綺麗に無くなった。
エゴも全てひっくるめて私だから。
そう思えるようになった。
ああ、考えていたらまた泣けてきた...

こうやって、自分を認めて受け入れていって、ただ純粋に愛おしいと思う時間が増えていく事で、長年掴めずにいた自分の本質にも、つい最近やっと気付く事ができた。
今まで何度も、可能性を思い浮かべては「何かが違う」「何かが合わない」と、いまいちしっくりこない感じで辿り着けずにいたのが、少しずつ色んなピースがはまっていって、ようやっと完成した。
けど、まだ上手く言語化し切れていない感じがするから、上手く文章にまとめられなさそう。
感覚だけは記録しておきたかったから、ばあああああっと文字には書き残してはあるんだけどね。
でも、これを自覚して、認めて受け入れた事で、本当にかなり軽くなった。
それこそ本当に「ああ、これでよかったんだ」という感覚になった。
幸せで、嬉しくて、晴れやかな気持ちになれている。
自分が認めてあげる事が、本当に一番の幸福感を味わえるんだって、つくづく実感できる。
物凄い愛を感じられる。
ありがとう、愛してる。


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