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人はモノかコトか

「人は死ねばゴミになる」過去にそういう発言をした検事総長がいた
実際にある書籍の題名である

なんとも乱暴な物言いだけど、それだけに、この言葉の持つメタメッセージが気になる

もしかしたら、そこにあるのは死への反語ではないのか
人はモノではないという感覚と、人はモノだという論理とのせめぎあいではないのか

西洋では存在ということに重きを置く文化がある
英語の冠詞がその最たる例である
逆に東洋では空の思想である
いわゆる「諸行無常…」や「行く川の流れ…」もその流れをくむ

東洋文化で育った人間が、西洋近代的自我を取り入れた文明社会の洗礼を受けて「死」を捉えることに難渋する
そのせめぎあいの結果の「人は死ねばゴミになる」という言葉が漏れたのではないだろうか
そんな風に感じられる

俗に「科学的に考えて」などというが、科学とは果たしてなんだろうか
科学と疑似科学を線引することは不可能であろう
だからポパーの決断であろうが

私は「人は死ねばゴミになる」そうは思わない
だから未だに免許証の裏にはチェックを入れることをためらう自分がいる
移植には賛成だし、自分かわいさで主張しているのではない
ただ、なんとも乱暴なチェック欄だなと、残念な気持ちで一杯になるのである
リビングウィルや各種同意書など、これに類するモノで溢れる社会である
致し方ないとはいえ、本当に寂しい限りだと痛感する
人をモノとして扱う側面にである
社会の本質とは、元来そういうことなのかもしれないけれど

「人間は、身体という出来事である」これはつたない経験から思い至った私の造語である
出来事と出来事が相まみえ渾然一体となって、ある現象が立ち上がる
それは例えば、(私の領域でいえば)「治癒」であったりするわけである

モノであれば、ああしたからこうなった、が通じよう
しかし20年以上医療の世界で働いてきて、因果関係があったことや再現性が得られたことなどただの一度もない
すべて違う現象が立ち上がってきた
こんなことは、考えてみればあたりまえのことであるけれども…

出来事と出来事が出会う
そのあわいに立ち上がる現象
その現象が出来事にとって素敵なことであるように取り組んでいきたい

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思いつきを垂れ流して内容がすっ飛んでいて読みにくいことこの上ない…まあこういうnote活用法もあろうかと思い、書き進めてみました

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