山靴

“人は身体という出来事である“ そう思い至り、身体という視座でモノ・コトを捉え直してい…

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“人は身体という出来事である“ そう思い至り、身体という視座でモノ・コトを捉え直していく私的試みnoteです。<認知科学、理学療法、心理療法あたりをウロウロしている人>

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人はモノかコトか

「人は死ねばゴミになる」過去にそういう発言をした検事総長がいた 実際にある書籍の題名である なんとも乱暴な物言いだけど、それだけに、この言葉の持つメタメッセージが気になる もしかしたら、そこにあるのは死への反語ではないのか 人はモノではないという感覚と、人はモノだという論理とのせめぎあいではないのか 西洋では存在ということに重きを置く文化がある 英語の冠詞がその最たる例である 逆に東洋では空の思想である いわゆる「諸行無常…」や「行く川の流れ…」もその流れをくむ 東洋

    • 呼吸パターンが記憶に関与するかも…という研究

      ニュース記事はこちらから 専門家はこちらから 論文を読む時は、方法と結果だけに着目するのが吉 表題や概要はメタメッセージを多分に含むので無意識に思考が引っ張られます その上で、肯定と否定両面から自分なりの考察を起こしていくのが比較的現実感があるんじゃないかな 肯定否定は時代の趨勢によって「科学的事実」として時間をかけて顕在化してくる そうこうしていると主要な学会が公式見解として発表する、みたいな流れで世間に常識として定着していくような感じでしょうかね 21世紀、認知科

      • 他人を説得できないのはなぜか ~身の記憶という視点~

        犬に噛まれた経験がある人は、犬を見ると体がすくむ つまり犬が苦手になる それを人は、「犬に噛まれた経験がそうさせるのだ」と説明する たしかに納得できる話である 私たちの「あたま」はこういう話、つまり因果関係がある話をたいへん好む傾向がある 余分を排除し、端的な情報だけをピックアップしモノゴトを単純化する さらにカテゴライズしてしまえば、もう全て解決したかのごとく感じる 私たちの「あたま」は因果関係とか分類が大好きだ しかし言葉による因果関係の説明で納得できるということは

        • 中学時代に学業に躓く人は、バカではない

          中学生になると、英語が始まる いや、今は小学生からだろ、という突っ込まれそうだが 自分のときは少なくともそうだった なにはともあれ、この時期に大きく躓く人が多い 英語でアルファベットを習う A~Zまで26文字 これを組み合わせて言葉を紡ぐ ふむふむなるほど と、ここまではいいとして、問題は次の時間である 次の時間は数学である 数学では1次方程式というものを習う なんとここでは、A=Bが出てきたりするのである そりゃそういうもんだろ、と思ったあなた 毒されている可能性が

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          なぁんか引っかかる名言、棘は抜け落ちるまでじっと待つのが吉

          小而学。則壮而有為 壮而学。則老而不衰 老而学。則死而不朽  佐藤一斎 言志晩録六十条 今朝本を読んでいて見つけた言葉、なんか引っかかるなぁと これって抽象度を上げていくと、人間社会の価値観を説いているように感じる 「意味がないこと、衰えること、朽ちること」 これらに対してちょっと不寛容な気がする、儒学者にありがちというか、、、 まあウンと賢い人が仰ることだから、それも見越してのことでしょう ということで、こういう引っかかった言葉は棘として身に残しておくのが吉 いつかポロッ

          なぁんか引っかかる名言、棘は抜け落ちるまでじっと待つのが吉

          マイナ保険証でも世代間闘争

          マイナ保険証導入是非についての討論番組をみた。 若者が老害を叩くというよくある構図。 頑張らないやつは淘汰されろという論調は、わかりやすいから同意を得られやすいけど、まあ単純化し過ぎだなと思う。 番組では医師会という叩きやすい団体を叩いていましたが、、、医師本人が高齢にならないと到達できない医療もあると思うし、PCが使える使えないは医師の本分とはまた別のことだと思う。 ということはさておいて、白黒はっきり分けて物事を単純化したほうが頭がすっきりするから好まれるけど、物事を

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