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【愛着障害自覚までの経緯】母子家庭と虐待親父と、可愛がられた長男と末っ子弟と真ん中で放置された私


私の家は私が中学生の頃くらいに離婚しています。

父親は機械いじりが好きでパコソンに詳しく、短気で口下手な人でした。

気に入らないことがあると暴力を振るって、母に言い負かされそうになると暴力をふるって、遊びのように虐待されるときもありました。

キレるポイントがわからない人でした。

何故か自室に入る前に私の部屋を一度開けて行くのが不自然で、「なんであけるの?」って聞いた瞬間髪の毛をつかんで壁にぶち当てられたことがあったり、

「エアコンつけといて」って頼まれたのを忘れていて父が部屋に入ってエアコンがついてないのに気づいた瞬間ボコボコにされたり。

いつキレるかわからないので常に顔色を伺わなければいけないとってもやばいやつでした。が、普通に優しい時もあり、

ゲームやパソコンのやり方を教えてもらったりなんだかんだ仲が良い時もありました。


コミュニケーションの障害形成はここで出来上がっていると思います。

異常に人の顔色が気になる癖。
怒らせないことが最優先で自己主張ができない癖。
自分が発した言葉で人が気を害するんだという思考の癖。

父の虐待は兄から私に、私から弟におりていきました。

兄は親がいない隙に私と弟をいじめ、私も兄がいない時は弟をいじめていました。

母に助けを求めたら兄からのいじめはエスカレートするし、助けを求めても助けてはもらえませんでした。

だって、母は仕事に行かないと生活ができないんだもの。

弟は何度も家出を試みて、連れ戻されています。
私はそんな弟を心配するどころか「自分だけ逃げた」と思っていました。

お金がなかったので美容室にも連れてってもらえず、母が切った変な髪型と親戚からもらったり上からお下がりでもらった男物の服を着て、子供らしい可愛さなんて微塵もない不細工な私は学校でもいじめられていました。

男子からキモい、くさい、暗い、と影で罵られ、私が使った後の手洗い場を誰も使わなかったり私が提出した後のノートの上に誰も自分のノートを重ねなかったりしました。

女子から嫌われたらもう生きていけなくなる、と思って必死にピエロを演じました

自分の好きなものを押し殺してみんなの好きなものに齧り付いて話を合わせました。

その結果私は学年全体の女の子達と話ができたし、面白い子、良い子なんて言われてみんなから仲良くしてもらえました。

心の闇は誰も気づかれず、「悩みがなさそうでいいね」なんて言われもしました。


母親はそんな父と私が中学2年の頃離婚し、いまもずっと母子家庭です。


なぜか私と兄弟で扱いが変わり始める


私が高校生になった頃、なぜか兄と弟の弁当は作るけど私の分は作ってくれなくなりました。

兄や弟はどんなに寝坊しても送り迎えしてあげるのに、私のことは放置。

なんでこんなに扱いが違うんだろう?そう思い始めたのはこの頃でした。



それから今もその扱いの違いは続いています。

どんなに帰りが遅くても兄や弟の晩御飯は用意する。

外食には兄や弟が寝ていても起こしに行って誘う。

自分の分と一緒に弟の昼食も作る。

知り合いや友人に兄や弟の自慢話をする。

私のことは目の前で貶す。

そのくせ私がやることなすことには口を出してくる

家事くらいできるようにならなきゃ、と料理しようとしたら

片付けが汚い、
餌みたいだ、

ゴミをちゃんと捨てろ、

一人旅の計画を立てたらその宿は高いからこっちの方がいい、このルートは遠回りだからこっちのほうが得だ、

髪型を変えたらなんだその色似合わないな、おかしい

言い方こそ笑って冗談っぽく言ってるけど、
私の意思で決めたことを全てねじまげにくる。

心配からくるものもあるかもしれないけど。

兄や弟のほうが迷惑かけてるのに容認率が高かった


お弁当を作ってくれなくなったのは私のせいで、使った後のお弁当箱を出し忘れることがかなり多かったんですよね。

服を買ってくれなかったのも、母親と好みが合わなかったから、買ってくれても着る気がおきなかったから。


だけど何度も寝坊を繰り返すのは兄も私も変わらないのに、兄弟は送り迎えをしてもらえるし

ヤンチャして警察にお世話になったこともあるのに、私よりたくさん悪いことしてるのに私より許してもらってた。

私の(当時自覚がなかった)発達障害の遅刻癖や忘れ癖、先延ばし癖はひどく怒られ許されなかった。


それが愛着障害に拍車をかけたんだと思う。


母は私に嫉妬しているんだろうなとおもう。


自分の方が愛されたい。
自分が1番頑張ってるのに、娘の方が自分より優れたり、可愛がられるのは許せない。

ワガママが通るのが許せないって。

そう思ってるから自分よりすごいところがあっても褒めないし、

誰かから可愛いと褒められても認めないんだと思う。


息子が彼氏だと思っているんだと思う。

そんなふうに思われないようなサバサバした立ち振る舞いしてるけど、外野から見ているとバレバレなくらい特別あつかいしている。

兄や弟の誕生日だけFacebookに書く。

兄や弟の誕生日は焼肉につれていく。

兄や弟の特技はほめる。
発達の問題で車の運転が怖い私を引き合いに、兄や弟の運転を褒める。

甘やかして彼氏のような存在と錯覚したいんだと思う。

これが女か、って冷静に思ってる。

息子を母が甘やかすように、娘は父に甘やかされていたら愛着障害にはならなかったかもしれない。


母親が息子を甘やかすのが性というなら、私も父親に甘やかされたかった。


虐待父の顔色を伺い自己主張ができず
働き詰めの母に苦労をかけられなくて自己主張ができず
いじめられるのが怖くてピエロを演じ
良い子でいたいのに発達障害で迷惑ばかりかけ
次第に愛を感じることができなくなり
愛されたい欲が満たされない母と彼氏のような兄弟と自立できない私が出来上がる。

家族に心を開けず
気心知れた友達や、
なんでも話せる友達もおらず
見捨てられ不安に苛まれすぐに疲れて人間関係は長く続かず
手放しで自分から人に優しくすることもできず
自分より優れている人を見ると激しい不安に襲われ
少し仲良くなった人には親友のような距離を求めてしまい離れていき
孤独に苦しみ人間不信。

どうしてこんなに人間関係が苦しいんだろうとネットで情報を読み漁りたどり着いたのが

【アダルトチルドレン】


私がアダルトチルドレンを自覚するまでの経緯です。


不幸自慢がしたいわけではなく、

こういう経緯で愛着に課題がある大人ができあがるんだよというカミングアウトです。



【あなたは良い子じゃなくていい、存在するだけで素晴らしい】

その意識を植え付けることができるのは親しかいない。

それができずに大人になる。

それがアダルトチルドレン。



それでもこの厳しい社会で生きて行かないといけないんです。

死んだら親不孝なんです。

逃げたら負けなんです。


今かいてたら、私今までよく笑って生きて来たなあって思った。(笑)

発達障害も、アダルトチルドレンも、しられてなかったし自覚せずなんとなーく生きてた頃のほうがあっけらかんとしてたんだとおもう。


死ぬほど理不尽で嫌なことばっかだったけど、仲がいい時もあったしほとんどを笑って過ごして来た。

だけど根底に濃い闇が疼いてて、それがずっと今も人間関係を苦しめてて、それをどうにかするにはこの蓋を開けるしかなかったんだとおもう。


時間はかかりそうですが、少しずつがんばります。


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