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ヒッチハイカー

借りていたDVDをTSUTAYAへ返却しに行った帰り、国道4号線の高架に入るところで「大阪」とスケッチブックに書いたヒッチハイカーを拾った。
ヒゲを生やしてはいたが20代の青年で、リュックを背負い、薄汚れたグレーのTシャツにカーゴパンツとサンダルという出で立ちだった。

 スペインで放浪の旅をしていたがビザが切れて日本に帰ってきた直後で、今度は友人のいる大阪まで行こうとヒッチハイクを思いついたという。昨晩に地元福島から長距離トラックに拾ってもらい、ここ小山市で降ろしてもらったという。
北関東の東西の大動脈国道50号と南北を縦断する4号が交差するこの小山市でトラックが4号を降りるのは当然である。
朝イチでここに降りた彼は、そのあと僕に拾われる昼までの5、6時間、通り過ぎる車へ「大阪」のスケッチブックを虚しく掲げ続けてたという。
 彼はあまり話すタイプではなく、車内で会話もなく、僕は4号をひたすら南に向かってアクセルを踏み続けた。フロントガラスの先にはアスファルトが遥か地平線まで伸び、左右の景色は畑とその遠方の雑木林がゆっくりと後方に流れていく。そんな静かな車内に気まずさを感じた僕は「ここからいきなり『大阪』と書いてヒッチハイクしても遠くて誰も拾わないから、30キロとか短い距離の目的地を書いて距離を刻んでヒッチハイクした方が拾ってくれるよ」とアドバイスした。
「この先の30キロ先はなんという街になるんですか?」と聞いてきたので「地図は持ってるの?」と聞くと、持ってないという。僕は呆れ気味に「古河かな」と答えた。彼は「コガですか」と繰り返した。
 そんなアドバイスを聞いた彼は、僕がそろそろ降ろしたい意味と感じ取ったのか、「この辺で降ろしてもらって大丈夫です」と言った。こんな畑しかなく、周囲に店も、自販機もないほとんど自動車専用道路と化している国道4号の真ん中に降ろせるはずがなく、僕は「じゃあ、次のコンビニで降ろしてあげるよ」と言った。
 
 相変わらず同じ景色の車窓にはコンビニの気配はまったく感じられず、車内は気まずい空気で徐々に満たされていった。少し道路の周囲が賑やかになってきたところで、一軒の酒屋の看板が左側に見えた。彼は「あ、あそこの店でいいです!」と前方を指差し、僕は「はいはい」と言って、左にウインカーを出して、酒屋の駐車場に車を乗り入れた。
酒屋は廃業していたようで、朽ち果てていた。
彼を降ろした場所が春日部だった。

 本書はNHKの『ドキュメント72時間』という番組で放送された『オン・ザ・ロード 国道16号の“幸福論”』、そしてテレビ神奈川の『キンシオ』の撮り下ろし「123の旅16号を行く〜気ままなぶらり旅」から16号の例を出し、車という移動を前提とした道路設計と都市設計を浮かび上がらせている。そのなかで、車の往来する16号の片隅に追いやられたかのような歩行者および歩行者道路についての記述があるが、僕にいわせれば、国道に歩行者が存在するだけでそれは都会である。
なぜヒッチハイクをしている彼を僕がすぐに発見できたのか。
それは人が歩くことがほとんど見られない国道だったからである。
国道16号線は柏から八王子までを走ったことがある。
ロードサイドにはなんらかの商業施設が立ち並び、中古車販売店やファミレス、DVD鑑賞ルームなどが繰り返し現れる。地方のロードサイトとは断片的には似通ってはいるが、それが繰り返し続くところが東京を囲む「郊外」の景色である。大きい変化としては福生の米軍基地あたりだろうか。八王子に向かって車を走らせていると、左手に延々と続くフェンス。そしてフェンスから覗く穏やかに広がる広大な敷地。16号の忙しない風景からフェンスを挟んだその差異に否応なく日米地位協定を実感させてくれるであろう。

 ちなみに高校時代の夏休み、一つ上の先輩が徒歩で沖縄に行く(沖縄に徒歩では行けない)と息荒く出発し、道中カツアゲをされて計画を断念した場所が大宮市(現さいたま市)の16号に入ったところであった。

『国道16号線スタディーズ 二〇〇〇年代の郊外とロードサイドを読む』
塚田修一/編著 西田善行/編著
青弓社 2,160円 ISBN:978-4-7872-3435-3

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