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ダルトン・トランボの抵抗と半生

『本の雑誌』2016年9月号〈特集=映画天国!〉掲載

 90年代のビデオレンタル店は雑居ビルの1フロア、五坪や十坪の怪しげなスペースで映画のビデオを貸し出していて、『悪魔の毒々モンスター』('84年)や『カブキマン』('90年)といった作品で僕は映画の鑑賞眼を磨いていた。そんな当時、市内にオープンしたツタヤで手に入れたビデオソフトカタログから僕の映画観は一変した。カタログの作品紹介欄にはご丁寧に鑑賞済のチェックを入れられる欄が設けられていた。ならば、と僕はこのカタログに掲載されている作品を全部観てやろうと決意した。つまり暇だったのだが、闇雲に観ていっても面白く無いのでテーマを決めようと考えた。まずはそれまで観逃していた傑作を観ていこう。では面白い映画とはなんだ?と考えた。面白い映画とはストーリーが面白いということだ。ストーリーとは脚本である。脚本の評価はどう判断すればいいのか? アカデミー脚本賞受賞作を観ればいいのである!
 こうして決めた最初の一本が『クライング・ゲーム』('92年)だった。オープニング、いきなりパーシー・スレッジの歌「男が女を愛するとき」が流れると、一緒に観ていた母ちゃんが突然歌い出した。「津軽海峡・冬景色」でさえ音程をはずす母ちゃんがパーシー・スレッジの高音など出るワケもないのだが、歌が懐かしいあまり自らも歌い出してしまったのだ。
 それが、僕が映画の脚本というものを初めて意識した瞬間であった。あ、母ちゃんの歌でではなく、『クライング・ゲーム』という作品で、である。
 さて、脚本にうるさいそんな僕が今回、脚本がテーマのノンフィクションを紹介するとなると、7月公開になった映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』の関連本を紹介しないわけにはいかない。
 映画は実在したハリウッドの脚本家ダルトン・トランボを主人公に、ハリウッドの黒歴史である赤狩りと、トランボの職人的抵抗とその半生を描く。
 映画の原作となっているのは同名のトランボの評伝(ブルース・クック著/世界文化社)だ。
 トランボはハリウッドで著名な脚本家であったが、戦後アメリカの赤狩りにより、映画産業から追放される。しかし彼は偽名や知人の名を使いハリウッドで脚本を書き続け、当時の映画産業、延いては不寛容なアメリカ社会へ抵抗し続けた。本書はトランボの活動がより詳細に記されているので、映画鑑賞後に読むことでトランボをより深く知ることができる一冊である。
 また、トランボが関わった膨大な作品について知りたくなれば『「ローマの休日」を仕掛けた男 不屈の映画人ダルトン・トランボ』(ピーター・ハンソン著、松枝愛訳/中央公論新社)がいい。
 そう、あの『ローマの休日』(五三年)の脚本を手がけたのはトランボなのである。近年までそのことを知る人間はほとんどいなかった。なぜなら映画製作当時すでにトランボはハリウッドから追放されていたからだ。しかし知人、イアン・マクレラン・ハンターの名義を使い『ローマの休日』の脚本を書きあげ、果たしてアカデミー賞最優秀原案賞を受賞する。本書はそれまで不明であったトランボのフィルモグラフィを明らかにし、彼の当時の状況と重ね合わせ、作品のテーマやメッセージを読み解いている。
 
 トランボがなぜハリウッドから追放されたのか、その時代背景を知るには、戦後のアメリカ社会を覆った反共主義運動である「赤狩り」、世に言うマッカーシズムを知っておきたい。それには『レッドパージ・ハリウッド 赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝』(上島春彦著/作品社)がうってつけである。
 戦後アメリカの異様さが際立つのが、この極端なまでの全体主義的な反共主義体制である。反共産主義のキャンペーンが政府主導で行われ、公務員は自らが共産主義者でないことを公式に宣誓することが法的に義務付けられ、それに民間もならうようになったのだが、このような反共の動きに疑義を差し挟むこと自体が反アメリカ主義的行為とみなされる時代であった。まるでジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』のような世界だが、当時のアメリカはこの小説が反共のバイブルとして読まれていたというから、今となってはタチの悪いジョークにしか聞こえない。そんな社会のプレッシャーに映画産業も飲み込まれていく。
 共産主義と関わりがあるかを調査する非米活動委員会の公聴会で証言を拒否したトランボはブラックリストに載り、ハリウッドで仕事ができなくなってしまうが、そんなトランボを安い給料で雇ったのはB級映画製作会社のキング兄弟であった。映画ではジョン・グッドマン演じるフランク・キングが「おれは金と女にしか興味がない」と啖呵を切るが、この時代の滑稽さを際立たせる名シーンである。その後、トランボは偽名または知人の名前で多くの映画製作に関わり続けることで、後にハリウッドの赤狩りを形がい化させ、完全復帰を果たす。
 本書を読み進めると、赤狩りによるハリウッドの人的損失に目を覆いたくなる。外国人であるチャップリンや、ナチスドイツから亡命してきた劇作家ベルトルト・ブレヒトや作曲家ハンス・アイスラーら芸術家を国外に追放し、俳優ジョン・ガーフィールドの死、監督エリア・カザンの転向とその後の禍根。多くの映画関係者が反米か否かという思想的対立に強引に割り振られていったアメリカの不幸な時代に憤りを禁じえない。反共体制のハリウッドを知るに適した名著である。
 映画は社会を映す鏡である。そしてハリウッドはアメリカの社会を映し出す。脚本家トランボを描くことは、ハリウッドが自らの間違いを見つめ直すことにほかならず、そしてそれはアメリカという国を見つめ直すことになる。
 戦後の不幸な時代から時を経て、映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』がハリウッドから生まれ、アカデミー賞で主演男優賞にノミネートされるのだから、映画の都の懐の深さに驚かされるばかりである。

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
2015年 アメリカ
監督:ジェイ・ローチ
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレン

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
ブルース・クック/著 手嶋由美子/訳
世界文化社 2,160円 ISBN:978-4-418-16509-4

『「ローマの休日」を仕掛けた男 不屈の映画人ダルトン・トランボ』
ピーター・ハンソン/著 松枝愛/訳
中央公論新社 3,456円 ISBN:978-4-12-004501-1

『レッドパージ・ハリウッド 赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝』
上島春彦/著
作品社 4,968円 ISBN:978-4-86182-071-7

『一九八四年 新訳版』
ジョージ・オーウェル/著 高橋和久/訳
ハヤカワepi文庫
929円 ISBN:978-4-15-120053-3

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