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鉄条網の歴史を知ることはそのまま人類の暴力の歴史を知ることに他ならない/【感想】『鉄条網の世界史』石弘之・石紀美子

第1章はアメリカ西部開拓の立役者としての鉄条網。
アメリカでは19世紀末まで西部の広大な農地を家畜から守るのに木柵を使用していたが、大平原では木材が手に入りにくくコストがかかっていた。そこで登場したのが鉄条網。安価で設置も簡単。収納しやすく持ち運びも楽として普及していった。
まずアメリカの人口増加による食料供給のため西部では肉牛の牧畜ブームおきる。牛の帝国を築き上げた牧場主たちの次には、農民を西部に定着させる目的で5年間定住した入植者や解放奴隷に対して160エーカーを無償で与える「ホームステッド法」が公布され、多くの農民たちが西に押し寄せた。
それまでの牧場主たちは大平原の国有地を「草地と水場の自由な利用と家畜の自由な移動」という掟のもと家畜を放牧し、それを政府も黙認していた。しかし開拓農民たちが農作物を家畜から守るために鉄条網を使用したことで牧場主たちの家畜の移動は困難になっていく。そこで牧場主と農民たちが衝突する。いわば『シェーン』で描かれていた悪徳牧場主のアレです。
広大だと思われた西部という大平原が鉄条網により占有、所有の概念が生まれてしまったのだ。
 土地の占有は有限を生み、限られた土地を目一杯酷使し、放牧地を鉄条網で囲うようになった牧場も限られた土地の草を牛は食い尽くした。そして起こったのが史上最悪の土壌破壊ダストボウル。『怒りの葡萄』のアレです。
実はダストボウルはまだ終わっておらず現在進行形というのに驚く。現在アメリカの表土の流出は年間64億トンで、これは日本の耕地に8cmの厚さで敷き詰められる量になる。面積当たりの土壌の流出量は『怒りの葡萄』の時代に比べて25%も多いという。

 いとも簡単に境界を作り上げる鉄条網は柵や塀よりも分断を強めるとても暴力的な道具だ。かつて家畜から作物を守るために発明された鉄条網は、土地を所有する概念を生み、それは地図上の国境に目に見える形で拒絶を生み出した。そこで生まれたのは「内と外」という概念だ。外は「敵」となり、国家、貧富、移民、民族、人種を物理的に鉄条網が分断した。
ホロコースト、大戦と東西冷戦、アメリカ、アフリカ、南米、オーストラリアなどの先住民、そしてチェルノブイリと福島第一原発。

 朝鮮半島の軍事境界線では長く人が立ち入らなかったために自然が回復し絶滅が危惧されていた動物の種が回復傾向にあるという。
 チェルノブイリは事故後30年ものあいだ原発30キロ圏内は立ち入り制限区域とされていたために稀に見る生物多様性の保護区となっている。また事故後から調査をしていた生物学者によると、予想していたような放射線による長期的な悪影響は動物たちには見られないという。人を拒絶することで自然が回復し守られるという皮肉。
 暴力的な境界を分断と呼ぶのならそこには必ず鉄条網が存在する。設置する側の「外」への暴力的拒絶に使用される鉄条網の歴史を知ることはそのまま人類の暴力の歴史を知ることに他ならない。

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鉄条網の世界史
石弘之・石紀美子/〔著〕
角川ソフィア文庫 
1,037円 ISBN:978-4-04-400454-5

映画の引用も多い『鉄条網の世界史』を読んでいて、鉄条網が強く印象残る映画として『草原の実験』が頭に浮かんだ。固定されたカメラに少女が近づくとピントが合い鉄条網が浮き出るように現れる。草原に忽然と鉄条網が現れるこの悲劇性。セリフが一切無い物語だからこそ、画の強度に打ちのめされた。

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『草原の実験』
2014年 ロシア
監督:アレクサンドル・コット
キャスト:エレーナ・アン

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