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【ハリーポッターと謎のプリンス】選ばれし者にのみ与えられた苦悩

※この投稿にはハリーポッターシリーズのネタバレを含みます。

 私はノートで映画の感想を投稿するということを趣味に持つ前からハリーポッターシリーズを何作か見てしまっていたので突然シリーズの佳境から感想文を投稿しますがご容赦ください。

 私の中でハリーポッターシリーズは学園ファンタジー作品の王道で正直ノートに書くほどのことなどないと思っていました、ハリポタこそ王道で、王道こそがハリーポッターなのだと。故にハリポタの感想など皆均一に面白かったしかないのだと。しかし今作は見ていて引き込まれるテーマがあったため書きます。

 今までのシリーズ作品と今回の作品の違いは「選ばれた」という言葉が何度も出てきたことです。まずは主人公のハリーから、ハリーは今までなんとなく周りから特別扱いを受けている、そのことが自分にとっての誇りであるというキャラクターでした。しかし今作は自分で自らのことを「僕は選ばれた者だ」と言います。

 そしてこの作品の第二の主人公とも言えるマルフォイです。彼はスネイプ先生やダンブルドアに自らを「彼の方に選ばれたのだ」と言います。前作までは父親がお偉いさんで威張り散らかしてて、嫌な性格のヒール役でしかなかったマルフォイが今作では今までになかった苦悩と葛藤や捨てきれないお家柄へのプライドを誇示しているシーンがあり大変印象的でした。

 自らを「選ばれた者」というのは簡単なことではないでしょう、事実ハリーはその名乗りを上げるまでに作品内の年月で6年間という年を有しました。一方でマルフォイは前作から今作までの間に自らを「選ばれた者」という自覚を持ち行動します。ただ、それは誇りではなく責務として選ばれたということですが…。スネイプ先生には自らを選ばれた者だと食ってかかり、ダンブルドアにはクシャクシャに顔を顰めながら、泣きそうになりながら自分が選ばれた者だからと杖を向けます。彼は極めて小物でとてもダンブルドアに弓を引けるほどの器ではありません、しかし彼はダンブルドアの暗殺をやってのけました、何故か、彼は闇の皇帝に選ばれた人物でありやるしかない状況だったからです。

 それではハリーは誰に選べれたのか、今まで作中にハリーを特別扱いする人物は数多くいました、そして闇の皇帝と渡り合えるのはある意味で半身とも言えるハリーだけです。それでもハリーはある意味では誰からも選ばれてはいません、他人から特別扱いこそされど誰かから選ばれたわけではないハリーが自らを「選べれた者」と言ったのは何故か。ハリーは自分で自分を選んだのだと、ハリーは自分に選ばれたのだと、ハリーは闇の皇帝に対して真っ向から向かい合っていく覚悟を決めたのだということが分かり、今まで状況に翻弄されていた子供が自分のなすべき事を明確化したことでもあり、とても成長を感じるシーンでした。

 「選べばれた者」というテーマからこの作品を見ると、他者から選ばれ状況に翻弄されるマルフォイと自らが進む道を決めたハリーとで違いが明確に現れた作品でもありました。おそらく次回作からストーリーは学校の外へと、今まで自分を守ってくれたダンブルドアを亡くし、仲間と突き進んでいくしかないハリー。スネイプというマルフォイを守ることに絶対の誓いを立てた師匠のいるマルフォイ。それぞれの立場に与えれた使命はただ闇の皇帝に負けずに向かいあっていくことのみ、ハリーは覚悟を決め、マルフォイは逃げ道を失っている。この2人の主人公が大きな壁にそれぞれの立場から立ち向かっていくことが今後のハリーポッターの最大の楽しみになるであろう。私は早く続きを見たい、そう思った。


p.s.
スネイプ先生がハリー達に振り回されながらブチギレるのを見るのが大好きなのですが、今作のスネイプ先生ポイントは「我が輩が半純血のプリンスだ。」でしたね。スネイプ先生自認がプリンスなんですよね、最高です。

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