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小1そうちゃんの宿題事情

そうちゃんの宿題事情を書いてみようと思ったら、いろいろ脱線したけど、お付き合いください。とりあえず、今うちの小学生が3人になり、それぞれ全然違うので面白いなーと思う。対照実験的な感じ!

我が家の宿題事情

そうちゃん、最近は週2~3ほどしか学校に行ってないので、宿題というか、その日学校でやったプリントがお届けされる。とは言え、絶対やってね的なものではなく。そもそも私が絶対やらせるものという認識がこれっぽっちもなく。先生からも「そうたさんのペースでやってみてください」くらいの感じ。ちょっと前には「嫌がりそうなら(プリント)見せないでください」とまでメモが…(笑)

兄のときもそうだったけれど、不登校児への対応はとっても繊細かつ丁寧である。

これは小学生にだけ言えることじゃないと思うのだけれど、我慢して黙ってやってると、まわりからは「できるんだ」としか思われない(←主婦業、母業あるある)。誰からも手は差し伸べられない。例えそれを悶絶しながらやっていても、だ。実際、何の苦もなくスイスイやれる子もいるわけだし。

そして、親が「そういうもんだ」「どんだけしんどくてもやらせるものだ」などとスルーしていたらその子の苦しみもずっとスルーされる。
子も親も、現状として、きちんと声を上げることは大事なことだ、と私は思ってる。

兄の場合はもうちょっと早くフォローしてあげられたらよかったなと思ってる。主張が分かりにくいというか、本人も「やらねば!」の気持ちが強すぎたんだと思う。保護者と先生との話がついたところで、4年生にもなると本人自身がクラスメイトの目が気になったりもして、どっちにしても苦しい日々だった。(でもまー本人の性格にもよる)
当時はクラスに「宿題係」というものがあり、その係の子が宿題忘れをチェックするという状況だった。その係の存在も、なんだかいろいろとトンチンカンなことになっとるなと思ったので、先生にお話しもしたけれど、ここでは割愛!笑

話を戻して、そうちゃんの宿題は実際どうしてるかというと。
とりあえず、もらったプリントはクリアファイルにポイポイ入れていく。やるタイミングは私たち(そうちゃんと私)で決めるスタイルで、私が「そうちゃん、プリントやるー?」と声掛けて彼がのってくれば決行。途中で止めるのもあり。そうちゃんが「お母さん、やろー」と言っても、私が断ることもある。私たちは対等で、宿題は義務ではない。

宿題の量やペースを子どもと相談して決めるのは上の子たちのときも不登校じゃなくてもやっていて。もちろん担任にも了承を得て。その理由も正直に「宿題をこなすことよりも、勉強嫌いになることの方が害だと思ってるので」と言うと、今のところ100%「全然いいですよー」の対応。その分、学校ではフォローしてくださってると思うのだけれど。、

小3の姉なんかは、音読はいつの頃からか自分でハンコ押して持ってく(笑)でも去年の個人懇談で、国語の時の音読が大きな声で感情たっぷりで素晴らしかった!と褒められた。、そして、授業中に丸付けするような宿題は必ずしていくというメリハリ具合!さすが!

そうちゃんには「字を読み書きできるとそうちゃんがパワーアップして楽しいことが増えるよ~」と、ちょいとはっぱをかけることもある。微分積分がどう人生を豊かにしてくれるのかは分からないが、読み書きは本当にそう思うから。

宿題の申し送り

前にも書いたけど、先生と親はチームだと思っている。だって、子どもが見せる姿はどちらも半分ずつだから(重なるところもあるだろうけど)。

なので、最近はやったプリントに申し送りを付けている。引継ぎ(笑)

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この部分は意外と理解している、とか、苦手意識あり、とか、苦戦しました…とか、こんなに上達しましたー!とかとか。連絡帳に改まって書くよりも付箋にペラリと書いて貼っておく方が私は合ってるみたい。

兄の時は新聞つくったし(笑)みんなで子どものこと共有できた方が楽しいもんねー。変な親だと思われてるだろうが!そこはもうあきらめた。

学力と時間の関係

時間をかければかけるほど学力は上がるのだろうか?学力の定義はさておき。知識やスキルの獲得において、ある程度の反復練習は必要だろうけども。みんなに一定に一方的にそれをやったところで、全体の成果を考えるとかえって非効率なのでは?と子どもたちを見ていて思う。先生のスキルがどんなに高くたって、システム上どうしたって「落ちこぼれ」と「吹きこぼれ」(←苫野一徳さんが言ってた)が出るよね。、今の財政金融システムのほころびのようだ…(←大西つねきが言ってた)。、

1カ月前にはじめて自分の名前をひらがなで書く練習を始めたそうちゃん。「そうた」の3文字で大苦戦してたのに、今はスラスラ書けてる。数字もそう。文字の曲線が難しくて「うおー!」となってたのに、すごい上達ぶり!書くサイズも徐々に小さくなって、指先の小回りがきいてきたみたい。

みんなと同じ時間かけなくても、みんなと同じペースじゃなくても、いやむしろそうじゃない方が幸せに学力向上できるのではないかしらー。、そう主張してる専門家の方々もいるのも知っているけど、戦後からずっと変わらない理由ってなんだろな?

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