オフィシャルとプライベート
こんご自分のSNS等はどんどんとオフィシャル化していくつもりだ。そんなことをわざわざ言う必要もないのかもしれないが。
ライターという職業はオフィシャルとプライベートの境目がごっちゃになる職業だと思う。なぜなら、彼らにとってプライベートで起こったこともネタであるからだ。プライベートで見つけた感動、楽しみや悲しみ、面白みまで。なにからなにまで、ネタになる。そんな職業。
だからこそ、プライベートをプライベートとして割り切ってしまうべきではないのではないかと考える。プライベートで行った野球観戦や映画鑑賞、ほんの何気ない日々のやりとりがネタとして、仕事につながる可能性がある以上、ぼくらはプライベートをまるでオフィシャルのように過ごすことが一つの価値になる。
しかし周りの友人たちは、そういうわけではないだろう。いま現在SNS上で繋がっている多くの友人たちが、SNSをプライベートな場所として利用している。そんな彼らのなかに、一人オフィシャルな人間が紛れ込むことによって、うまく回らない歯車も出てきそうではある。プライベートの浅野凜太郎とは知り合いでも、オフィシャルの浅野凜太郎には興味がない。そんな人だって少なからずというか、たくさんいるだろう。
よく、有名人の裏アカ、なんて言葉が聞かれる。日夜表舞台に立つ人間にとって、気心の知れた仲間とプライベートを共有できる空間は必要なのかもしれない。有名人の裏アカというものが、オフィシャルであり続けることの難しさを表しているようにも思える。無論、ぼくと彼らでは注目度も責任度もちがうから、比較にならないが。
思っていないことでも言う。やりたくないこともやる。そんな側面がオフィシャルにはある。こんごのオフィシャル化が、自分という人間をどのように形成していくのか、楽しみとこわさである。
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