見出し画像

僕の「原体験ディグダグ」 その③

1:はじめに

「原体験ディグダグ」の第三回です。前回は少し横道に逸れましたが、軌道修正して元に戻ります。
「現在の何か」(意識)から「過去」(無意識)へ戻ることを意識して進めていってみます。

さて、もともと原体験巡りをしようと思ったのは、「新クリニック開業に向けての理念創り」がきっかけですが、現在・未来の自分の立場「開業医」についてディグダグしていきたいと思います。

まずは「開業医」=「開業している・する医師」なので、一番のキモになる「医師」という仕事について掘ってみます。
お付き合い、よろしくお願いいたします。

2:今現在に至るまで

 僕が医師となってから、約20年が経過しました。まあ中堅どころって感じでしょうか?
 出身は鹿児島県で、大学入学してから東京へ出てきました。まあ、皆さんご存じのように医学部は6年制です。一応順調に進級できて、24歳で卒業。医師国家試験にも合格し、そして研修医になりました。研修医っていっても、もちろん医師免許は所持していますから開業ということはできます。ただ、医師としての経験は0ですから、まあ使い物にはなりません。ですから、指導医のもと医師としての経験を積んでいくことになります。
 

 よくいう「○○科」といわれる診療科ってあるじゃないですか?あの○○科ってのはどこで決めるの?と思われるかもしれませんが、僕達の大学では、研修する前に、大きく内科系、外科系、その他の科といった感じで希望をだし、それぞれ研修していくシステムでした。これは研修する医療機関で変わりますし、時代によっても変わると思います。
 で、内科を選んで、いろいろな専門科(例えば消化器内科、循環器内科とか呼吸器内科とか)を回りながら勉強していくシステムでした。僕は内科を選択して研修しています。

研修医期間は3年間。その間にいろんな科を回り、将来どの専門科に入る(入局といいます)かを試行錯誤していくんですね。

この入局に至るまでにまず2つの「なぜ?」が浮かんできます。
1:なぜ内科を選んだのか?
2:なぜ呼吸器内科にしたのか?

です。

この「なぜ?」は結構あっさり引き出せます。まあ、当たり前です。もうしっかり意識して選んでるからです。
1:血をみるのが嫌だったのと手があまりにも不器用だった(-_-;)。人と接する科が性にあってるなと思ったので内科を選択した。
2:内科の中でも一番「患者さんに密に接している科」だなと思ったから呼吸器内科を選択した。

という単純な理由です。内科でも血をみることはしばしばありますが、外科ほどではありません。でもね、手先の不器用さはどうにもなりません(-_-;)。こまかい仕事がホントに苦手なんです、僕・・・。

 昔、いわゆる「ガンプラ」が流行ってた時に、僕もプラモデル作りまくりましたが、いわゆる色塗り(塗装)が下手で下手で・・・。今はほぼ塗装なしで作れますが、昔は細い筆で塗り塗りする訳です、ちっこい部分に。もう手が震えて震えて、母親に手を支えてもらいながら塗装してたくらいです。

ほら、想像してみてください。

「こんな不器用な外科医に手術・執刀してほしい人なんていますか?」

僕は嫌です!!だから外科という選択肢はありませんでした、はい。諦めてますから。

 で、呼吸器内科医になったのは、もうずばり「患者さんを全人的に診る科」だったからですね。当時面倒をみて頂いていた呼吸器内科の指導医の先生方が、とにかく患者さん好きな先生でいつもいつも病棟に居て、患者さんのことを気にしている。そして、必ず朝と夕に患者さんの顔を見て回るんです。たとえ、夜何時になっても(夜遅いときには夜這いのように静かに回りました)。

「あ~、こんな先生になりたいな~~~」

というのが一番の動機でしたね。だから呼吸器内科にしました。

 そんなこんなで、研修医期間も無事終了し、晴れて呼吸器内科の一員として歩むこととなりました。
 まあ、この後は、大学病院以外にも関連病院(いわゆる附属病院ですね)とかに勤務しながら普通に働いていましたね。重宝がられたのか適当に扱われたのか、いろんなところに派遣されました(笑)。大きな病院の立ち上げに参加して、一人で呼吸器内科を立ち上げたりとかもしましたし、救急病院にも行きましたね。まあ修羅場も潜りましたが、周りの先生方に恵まれたおかげで生き延びました。
 あとは、キャリアを積むといろいろやらないといけないこともでてくるんですが、グループ長といって、前述した指導医+研修医のペアを総括するグループのトップにもなることもできました。まあ、いろんな研修医もいましたが、楽しくやれましたし、「チーム戦」の楽しみを覚えたのも、この頃でしたね。

 さあ、このまま大学にいたとしたら、その先どうなるか?といえば、いやな言い方ですが、どんどん上のポストに挙げられてしまい、患者さんを診る機会は減ってきます。僕は、医局内での権力争い?のようなものやどの役職に就くかとか、いわゆる「出世」というものにはまったく興味がなかったんですね。そして、やはり同じ環境にいると「飽き」がでてくる。大学に残るメリットというものがあまり感じられなかったんです。
 そんなこともあったので、もともと予定していた「鹿児島へ帰る」という選択をしました。

 そして、実際に帰郷したのが、2014年10月。娘が1歳半くらいの時ですね。今からちょうど5年前に帰郷しました。いきなり現在の診療所(要するに実家の診療所)で働き始めるわけではなく、近くの基幹病院で1年勤務した後に、2015年11月から現在の診療所で働き始めて現在に至ります。

3:なぜ「医師」になったの?

 次は、この「なぜ?」です。簡単なようで、実は僕の中では一番やっかいな「なぜ?」ですね。
 なぜかといえば、

動機らしい明確なものが見当たらないからなんです。

 自分の進路とかを考え始めるのって、たぶん高校生くらいが多いのかな?と思いますが、その時にはもちろん医師になるつもりで勉強してましたし、受験する学部も医学部のみでした。
 中学生の時も、医師になるという目標から逆算して受験する高校も決めていました。小学生の頃にファミコンが流行った時に、ゲームプログラマーになりたいなと思ったことはありましたが、だからといってそこまでのめり込むこともありませんでした。それ以前の記憶なんてほぼありません。

ただ、周囲の親戚たちから言わせると、4~5歳くらいの時には「将来医者になるっ!」と大見得切ってたらしいです(まったく嫌なクソガキです)

はて、何故でしょう?(笑)
 少なくとも、両親から「医者になれ」と言われたことはありませんし、「将来なんにでもなれるように勉強はしなさい」と言われて育ちました。だからといって「○○になれ」と言われた記憶はありません。
でも明確に覚えているのは

「とにかく医師と触れ合る機会や病院にいる機会が多かった」

ということはあると思います。
 今になるとあまりいいものではないのですが、うちの親戚はほぼ医師ばっかりです。従兄弟もほとんど医師になりました。まあ結果論ですが、医師の中で育ったようなもんです。でも、面白いもので「医師としての父」に憧れてということはないんですよね。そもそも、父と、父以外の母・姉・僕は進学のこともあり、僕が小学校4年以降は父と一緒に暮らしてないんで、「父の働いてる姿」って、ほぼ覚えてないんです。父はとにかく仕事人間で、キャッチボールするのも泣いて頼んだ記憶がありますけど。

あとは、環境ですね。
いつも幼稚園から帰ってきては、診療所で看護師さんと遊んでたりしましたし、いつも身近に診療所がありました(だって、診療所と同じ敷地のとなりに自宅ですもん)。

要は、

「門前の小僧、習わぬ経を読む」

というのが、一番かもしれません。

じゃあ、「医師になってどうなの?」と言われると、

「自分には合ってる職業かな?」

と思ってます。

「生まれ変わっても、医師になる??」
と言われれば、

「選択肢には入れるかな?でも、他の職種にもトライしてみたいよね。」

って感じですね。

 「そんな動機なんだ~」と思われるかもしれませんが、結構いろんな動機の先生方はいると思います。今とかは、「偏差値良かったから受けました」って子もいますし。
 でも、要は「どんな動機で医師になるか?」よりも「医師になってからどんな医師になっていくか」のほうが大事だと、僕なりには思ってます。大層な動機を持って医師になったとしても、いい医師になれるとは限らないですし、医学部での成績とかも関係ないです。大事なのは「医師になってから」だとは思います。これ、どんな職業でもそうですけど。
 まあ、「自分がどんな医師になれたか?」ってのは、僕が担当した患者さんや一緒に働いてた人たちにしかわからないんですけどね(-_-;)

4:最後に

 今回のディグダグは、なかなか面白いというか、難しいものでした。自分だけで掘り起こすとしたら、ここまでなのかなあとも思います。チカイケさんもツィートしていたように、「第三者から質問してもらいながら掘る」ほうが掘り進めやすいかもとも思います。

もし、今回のディグダグをみて、「なぜ?」と思うことがあれば、なんでも質問して頂ければと思います。医師以外の方々からの質問、大歓迎です。Twitterでもお答えしますので、かく @kaku443 へどんどん質問してください。

では、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
また、良ければ読んでくださいm(__)m

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?