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いくつになっても変わらない

いわゆる毒親育ちで、小さい頃から気苦労が多い。
50代後半になった現在も、自分の体調管理がうまくできない。
疲れて休みを取るべき(取っても誰も文句言わない状況になっても)でも、自分の疲労度が把握できない。
だから調子が良い、と思っていても突然体調不良に陥る。
生まれつき身体が弱いのではない、気を遣いすぎて心が疲れてそれが不調につながる。
50数年生きてきて、ぼんやりと認識するようにはなった。
カウンセリングや漢方など随分とお金もかけてきたと思う。
でも、結局外からじゃなく内から変えないと何も変わらないんだなと今は思っている。

自己肯定感が低い、と言ってしまえばそれで終わり。
確かに低い。
自己肯定感を高めて意識を変えてハッピーになりましょう、
見飽き、聞き飽きた。
それが簡単にできればこんなに煩わされることはないのだ。

コロナ禍が始まって3年が過ぎた。
今迄、夫も私も感染を免れてきたのに、8月突然二人して感染。
症状としては二人とも同じで、咳、酷い倦怠感、発熱。
幸い(?)自宅療養で回復したが、私はそのあと続けてメニエール病が再発。

8年前、父の入院をきっかけに突発性難聴になった。
すぐに治療すれば完治する可能性もある、と後から知ったのだが、
就いたばかりの仕事を必死に覚え、同時に父の入院の付き添いもあり、受診したのが発症から1週間経ってからだった。
それを機に時々再発するようになり、今回久々に発症。
またしても、新しい仕事に就いて3カ月目のことだった。

無理があったと思う。
この年齢で、条件の良い仕事に就けたと思い、一生懸命になってしまった。
3年前に父が亡くなったが、その前年から、入院生活の介助、転院、再入院、転院、その対応はすべて私一人で行い、かなり精神的にも体力的にも疲弊。父の亡くなった後の母のケア。元々、母は精神的にアップダウンが大きい人で小さい頃から振り回され、時には私が母の母代わりのような役回りをすることも多くあった。コロナ禍突入後でもあり、四十九日の法事は断念、なんとかごく小人数だけで百か日法要の段取りをつけたのに、前日になって母が錯乱状態になり手が付けられなくなってドタキャン。お寺さんや親戚、仕出し屋さんに頭を下げまくった。

その年の年末に関東に居た妹が離婚して実家に戻ってきた。
元々妹とはそりが合わず、案の定3年経とうとしている今、ごく近くに居ながらほぼ絶縁状態。実家にはほとんど行かなくなっている。

そういった諸々と、新しい仕事のストレスが絡まり合って私は体調を壊してしまった。
ここには書かなかったが、40代半ばで出会った夫との生活にもストレスを感じることは多い。見渡せばストレスばっかりだ。

今回メニエール再発で、改めてネットで起因や症状を調べてみた。
ストレスが原因、とあった。再度言う、私の周りにはストレスばっかり。
どうすればいいんだろう。このままでは私は死ぬまでストレスにさらされたままになってしまう。
もちろん、おいしいものを食べたり、時々旅行をしたり、友達としゃべり倒したり、ストレスのはけ口が無いわけではない。
でも、根本的に自分の身の回りに起こる事象をできるだけストレスが少なくするにはどうしたらいいのか。

いくつになっても、遅いことはない。
それを信じて、今からでも意識を少しずつ変えていきたい。