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サイゼリヤ教

サイゼリ"ア"だと?捕らえて八つ裂きにしろ!

サイゼリヤの良さ。どれもおいしい。日本人の口に合う食べ応えあるイタリア料理。やすい。はちきれるほどたらふく食べても1000円弱。ピッツァ・パスタ・ドリア・デザート、複数人で行けば涙の出る豪遊感がある。調味料が豊富で気軽に味変できるのが楽しい。オリーブオイルの味が良い。醤油もお箸もあって偉い。チェーン店の中でも諸々程よい。接客も良すぎず、悪すぎず。机と椅子もちょうどよく長居しやすい。コンセントやWi-Fiがあるわけじゃないので、雰囲気がゆるい。もちろん作業もできるが、娯楽としてのサイゼリヤは素晴らしい。自由な国だ。嗚呼、愛しきサイゼリヤ。

最高なサイゼリヤだけど、たまにハズレのサイゼリヤもある。人気店ゆえに客が多い・単価が安いのでコストかけられず、または人手不足でスタッフが少ない・チェーン店なので席数が多い→この3つが揃うと、途端に魅力が半減する。具体的には、オーダーや会計、片付けや席案内などの接客が立て込むので、必然的に出来上がった料理を運ぶことが作業優先順位の中で下がり、冷めた料理の提供となってしまう。スタッフが圧倒的に足りてない店は悪循環ですべてのサービスが格段に悪くなる。入店も待たされるし、料理が出てくるのも遅いし、出できたと思ったら冷めてるし、接客もいっぱいいっぱいでオーダーしづらいし、調味料も切れてるし。

わたしは、サイゼリヤ教の信者であり、料理は出来たてがイチバン党の支持者である。料理は出来たてがイチバンだ。それ以上でも以下でもない。刺し身とか熟成させるのはアリ。そういうことじゃない。盛り付けて、「さあ!食せ!」というイチバンうまい瞬間があるのだ。その瞬間から1秒ごとに、美味レベルが下がってしまう。これはマジ。もう、できたら呼んでよ!自分で運ぶから!と毎回思う。(そのへん富士そばっていいよね〜。)

しかし、これはサイゼリヤのせいではないのだ。やすくておいしくて最高なサイゼリヤが成り立っているのは奇跡。あらゆる事象の中でバランスをとってサイゼリヤは営業している。険しい崖の上、雨風にさらされた一本の松の木が、それでも折れずに夜を越え、明くる晴天の日、美しく空に伸びているのを見たら、あなたは目に焼き付けるだろう。そのような奇跡なのだ。サイゼリヤを責めるな。サイゼリヤを受け入れろ。サイゼリヤを心に抱けば、サイゼリヤが心の支えにもなる。それが、「人が生きる」ということ。さあ、今日のランチはサイゼリヤに行こう。17時までのお得なランチメニューもいいが、レギュラーメニューも捨てがたい。ミラノ風ドリアにオリーブオイルをたっぷりかけて。それともミートソースボロニア風にプチフォッカか。ボリューミーなミックスグリルも良い。小エビのサラダや辛味チキン、エスカルゴのオーブン焼き。豊富だが、うまさの約束された安定のサイドメニュー。食後にデザートを食べたら大満足で、今日という1日が素晴らしいものになるだろう。

サイゼリヤで、好きなメニューはなんですか?

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