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我欲が渦巻くビカクシダ界隈が面白い

で、1972年にビカクシダが現在の18原種に分類されてから
2006年にダメ押しで

  • P. hillii

  • P. veitchii

  • P. willinckii

は、P. bifurcatumの亜種じゃなくて原種だって
確定するまでの流れを書いた

そして、それから現在まで18年が経っても
相変わらず上記の確定が浸透しきってないどころか

本来は園芸の初心者に対して啓蒙する立場にある
販売者が、誤った記述ばかり書いてる無責任さを問題提起した


さらにひどい例として

P. angolense、P. vasseiという名前が
それぞれP. elephantotis、P. alcicorneと同じものなのに
独自に呼び始めただけだから、呼ぶのをやめろ

と論文で否定されたのは、今から50年前だという話を紹介した


これら2つの例からは
手塚治虫の漫画なみに、人間という存在について考えさせられる

いまだに書くのをやめない人がいるのは
書かないと死ぬの?
って、個々人の責任にしたいわけじゃない

たぶん、人間が人間である以上
自動的にこうなる


Instagramとかで、ちょっとリアルより華美に見せたいとか
ちょっとお金持ちに見せたい、みたいな我欲と同じで

ビザールプランツ(珍奇植物)を育てる人間には
自身は平均的な一般人とはちょっと違うのだ、と思わせたい我欲があり

所持する株で自慢できなかったとしても
知識を披露することで、対外的な評価にゲタを履かせることができる

この脳の働きが、誤った情報が風化しない原因なのだろう


植物学者は厳密さに興味ある集団なので、シノニムを嫌う

世界の全員が植物学者だったら
P. angolense、P. vasseiは
ウルトラマンセブン並にピキッってなる禁句扱いされて
とっくに死語になってるだろう

ただ、どんな死語だろうと
時間軸で極限をとって0に収束することはないはずで

実際、くしゃがらみたいなヤバい言葉でも
検索結果が0件にはならない

独壇場という言葉は、独擅場をどくせんじょうと読めない大多数の人にとっては正解なので
人気があるけど、独擅場が0件にはならない

日本語学者がそれにキレてるかは知らないけど
「言葉は変化していくものだから」という全肯定が格好良すぎるので
学者レベルが高いほど変化を認めてて、キレてないと思う


みんなが正解でも不正解でもどうでもイイ
って思うほど興味を持たれない言葉なら、不正解だろうと使われ続ける

その言葉を消すことにメリットもデメリットも感じない
という状態

P. angolense、P. vasseiを使うことに、植物学者は「厳密でない」というデメリットを感じるが
ほとんどの人はデメリットを感じない

しかし、それくらい興味を持たれない言葉なら
デメリットを感じてなくても死語になるはずだ

鎌倉時代が西暦何年に始まったとか、稲作が何時代に始まったとかは
諸説の中のメインが更新されてくけど

もうテストを受ける機会のない大人には、最新の解答を知らなくても
なんのデメリットもない

けど、これを話題にするのは、むしろ大人だ

メリットを感じてるから話題にする


知識を披露することで、対外的な評価にゲタを履かせることができる

この脳の働きが、誤った情報が風化しない原因だ、と上で書いたけど
誤った情報を訂正する方向にも、人間の自慢したい欲は貢献するということ

ビカクシダについても
P. angolense、P. vasseiのような不正解を書くことが
恥ずかしいことだと認識され

「まだP. angolenseって書いてる人がいるけど、頭アンゴレンセかよ」
とか
「今どきP. vasseiって書いてる老人がいるけど、Z世代はP. alcicorneって呼んでるから」
みたいに、訂正してくる人が毎回やってきて

絶対鎌倉時代1185年マンみたいに活動すれば、うざくて書かれることはなくなるだろう


でも、現実はそうなってない

ビカクシダ関連の誤りが広まった1982年には
インターネットがなかったから、訂正が拡散しなかった?

いや、訂正された2006年にはとっくにあったし
それからの18年間、インターネットが訂正に貢献するチャンスはあった


ビカクシダが鎌倉時代に比べて、マイナーでハイコンテクストだから?

それも違う

そんなビカクシダ界隈のハイコンテクストさを突破した人たちの中で
誤りを訂正する自浄作用が生まれないという話なので
ハイコンテクストさは関係ない

ビカクシダを育ててる人の知識欲は
そのへんのオバちゃんが鎌倉時代の開始年に興味を持つ程度の知識欲にすら負けてる
という、どうしようもない話


P. angolenseがP. elephantotisだという知識はあるのだろう

足りないのは
今さら併記しちゃダメって知識

「P. angolenseと書いても間違いじゃないから、併記しても良いだろう」
が不正解だという知識

1185年(以前は1192年と呼ばれていた)
でなく
1185年(1192年)
とか
1192年(1185年)
って書いてるのが、2024年のビカクシダ界隈の知識レベルなのです


P. elephantotisと書いて、やめておけばいいのに
P. elephantotis(P. angolense)と書いてしまう

書かずにいられない

なんだってそんなことをする……?
その行為にどんな意味があるっていうんだ……?

こういう表記をしてる人の多くは
育ててる人でなく、売ってる立場の人だ

こう書いたほうが売れるから書いてる、と考えられる

きっと悪意がない

光に反応する虫やパチンコ中毒者のように、本能で喜びに従ってるだけ


P. alcicorneを育ててる人は多いだろうけど
P. vasseiと書かれると、別の品種かのように錯覚して購入意欲が刺激されるのかもしれない

私の価値観では
同じものを説明してるなら、説明は短くシンプルなほど美しいのだけど

ガンダムバルバトスルプスレクスみたいに
文字数が多いほうが、重厚に見えて
情報量で圧倒すると、消費者は買うのかもしれない
(ガンダムバルバトスルプスレクスのプラモは、私も買ったし……)

普通の販売者は短い商品名なのに
この販売者は倍の長さがあるぶん、詳しい人な気がする……って錯覚し

そんな人が扱ってるのだから、レアなのかもしれない……
売り切れる前に買わなきゃ!

って感じなら
ビザールプランツの消費者は、意外と楽天ユーザーっぽい行動原理なのか……?


知識がすべてじゃない

ビカクシダの育て方が上手なら
知識がなくてもベテランだと思う

魚屋に例えると
美味しく食べさせる方法に詳しければ、素晴らしい魚屋だ

魚はたいてい、届いた時点ですでに死んでるし
生きてても数日間で調理まで行くから、知識は偏ってて問題ない

いっぽう水族館は、魚を寿命まで育てきる知識が必要で
網羅してないとベテランとはいえない


たぶん、日本のビカクシダ界隈には
さかなクンのような、知識を啓蒙するアイドルがいないのだろう

育て方が上手い人の中から
ビカクシダ研究の中心である中国語、英語を読んで
全体的な知識を身に着けたいという願望を持った人が現れない

ブログや動画でファンを持つリーダー的な人やナーセリーが
育て方以外の知識を広めたい、という願望を持ってない

誤った知識が淘汰されるように、極意としてまとめて
柔道のような、ビカクシダ道という道レベルまで昇華させたい
ほどまでは、ビカクシダへの愛は深くないということか……


植物好きだからといって
内向的で個人主義ってことはないと思うし

日本でのビカクシダ界隈には
販売会を兼ねたオフ会もあるらしい

でも、それはパリ万博の頃から根付く
植物愛好家たちの交流……古き良きサロンって感じで

長期的な目線で、初心者に対して繰り返し再利用できるような
日本語で書かれたビカクシダ全体の知識セットを整備しよう
みたいな、オープンソース的な方向性ではないっぽい

所有欲を満たして完結してて、文化になってない


日本ではビカクシダの販売者も、購入者も、園芸家も
全体への貢献には興味がない、という印象は

https://ja.wikipedia.org/wiki/ビカクシダ属
が放置されてることから、強く受ける

日本語版の記事ができたのは2015年

英語版
https://en.wikipedia.org/wiki/Platycerium
は2004‎年作成で、1982年から2006年までの時期だから
P. hillii、P. veitchii、P. willinckiiの分類が誤った状態でスタートしてる

中国語版
https://zh.wikipedia.org/wiki/鹿角蕨屬
が作られたのは2007年で、英語版より新しい

内容も少なかったのに、2023年に突然覚醒し
Hung Tingという人が、現在の充実した記事の基礎を作った

アメリカと日本だけで4.5億人いるのに
0からでなく中国語版から翻訳すれば充分なのに
英語版、日本語版には、1年間で1人も出現しなかった


結果、それらは相変わらず

  • Platycerium bifurcatum var. Hillii

  • Platycerium bifurcatum subsp. Veitchii

  • Platycerium bifurcatum subsp. Willinckii

と書かれたままになってる

日本語版は1回目の更新時点で、英語版を参考に書かれたようで
英語版での誤りが、そのまま日本語訳されてしまってる

それは2015年のことで、すでに2006年に
P. hillii、P. veitchii、P. willinckiiは原種に分類され直されてたので
日本語版を作った人は、気づかずに書いたのだろう

それから今までの9年間
ビカクシダ界隈で活動してた人は、誰1人それを修正しなかった


日本にもシダ専門の植物学者はいるのに
これを修正しなければ、と行動した人が誰1人いなかった

その間、日本語版、英語版のWikipediaは
入門者にウソを教え続けた

ビカクシダの販売業者や、個人間売買で商品名をコピペする時の誤りが
Wikipediaが由来だとしたら
日本のビカクシダ界隈は、全員で
現在進行系で代償を払ってることになるのだろう


このブログを書ける程度には日本語を書けるので
Hung Tingさんのように、2024年水準に修正しても良いのだけど

それは……なんか違う気がする……

ずっと放置してきた
日本の植物学者や
ビカクシダ界隈のメンバーに、修正してもらいたい

これは我欲……


業者はハッタリを書いてでも売りたい、という我欲

園芸家は育てることに集中したく、貢献はしたくないという我欲

学者は、素人の集まりであるWikipediaに時間を割きたくないという我欲

私は、ビカクシダを商材にしてる(ビカクシダに貢献されてる)人たちが
ビカクシダに貢献し返してほしい(誤って理解される悲哀を止めてほしい)という我欲

それぞれが我欲を持ってて良いのでは、と思う

結果は自動的に決まる

みんな、ビカクシダの胞子葉の上で踊ってる存在に過ぎない……


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