コロナから学んだ、時間の余裕の大切さ。
Stayhomeがもうまるまる1ヶ月過ぎた。
多大な被害を与え続けてるこのコロナだけど、少し自分の生活のあり方、そしてモノの価値観、考えさせられるところがあったので書き留めておこうかと。備忘録
まず生活のあり方。
わたしの生活リズムに関して言うと、朝は6時過ぎに出勤、家に帰宅するのが21時過ぎごろ。。(この時間についての労働基準法がなんたらって話はおいておいてください。笑 特に不満なくやってます、楽しくてやってます。悪しからず)
家に帰れば、もうお風呂に入って寝るだけ。自炊も本当に簡単なもの、それかコンビニで買って帰ったりすることも。
休みの日。就職して3年目くらいからバカみたいにひたすらコンクール漬けの生活。1年に1回は自分の出たいコンクールに向けて2、3ヶ月前からお休みの日にはお店に行き、もくもくとコンクールにだす作品の制作や練習をする。さらに先輩が出るコンクールの助手を進み出たりしていたので1年の半分くらいは、休みの日も朝から晩まで拘束されていました。笑
そのときのわたしはそれが本望だった。とにかくコンクールをやりたくて。毎日仕事のこととかお菓子のことを考えるそんな生活がしたいとさえ思ってた。常に何か期限が迫っている。目標がある程度のスパンで明確に見えていることって、大事だと思っていて、コンクールってとても簡単に出来る目標設定のひとつだと思います。
さて、30才目前。コンクールでタイトルも取れました(この話はまたどこかでしたい)。
じゃあ次のコンクールはこれをやろうかな。なんて思ったときのこのコロナ騒動。
仕事の時間は短縮されて、お休みもしっかり週休2~3日、さらに、休みの日は外出をほとんどしない。コンクールももちろんなし。
何かに煽られることもない。
家に帰れば、少し手の込んだ料理、ドラマを見たり。そしてバスボムを浮かべてゆっくりお風呂に浸かったり。
この9年間そんな生活をしたことがあっただろうか。
何もない毎日なんだけど、なんだか充実してるように感じる。
目標に向かって、睡眠時間を削ってコンクールに打ち込んで、仕事でくたくたになり死んだようにいつのまにかこたつのなかで寝ている。そう言う日々を送らなければ、人生が充実してると言えないと思ってた。自分を追い込んで、1日の体力を全て使いきらないと、人生が充実してると言えないと思ってた。
1日がどんな風に終わったのか考えるまもなく次の日がくる
今までの生活に何の後悔もない。やりたいことをしっかりやれていた。だからそれはそれで良かったと思う。得るものも多かった。
でもゆっくりと時間の余裕があり、何もない日だけど、あぁこのご飯美味しいなぁって思える日も、それはそれで充実した日々の過ごし方だとも思えた。
(それが普通だよ、と、冷静に彼氏は言う。)
がむしゃらに走って進む時間も、
少し立ち止まってゆっくり歩く時間も、
どちらも良いものでした。
わたしは正直若い体力のあるうちはがむしゃらに走り続ける毎日を過ごすのも良いと思います。後悔しない毎日を過ごすことがいちばん。
ただ時間の余裕、心の余裕は、小さい幸せに気付かせてくれる大事なものだとも知れた。
時間の余裕、心の余裕、あとはお金の余裕、愛情の余裕。
これが満たされると幸福度はすごく上がるんだなぁとしみじみ。
世間では当たり前のことのようですが、わたしにとっては学びでした。コロナ。
長くなってしまった。
モノの価値については次の記事に書くとする。
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