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「グッバイ、ドン・グリーズ!」 - 浦安チボリとはなんだったのか? -

最初に

3日前に観てきました。
感想はあえて脇に置いて、1つにテーマを絞ってまとめようと思います。
考察ではなくて、あくまで僕が「グッバイ、ドン・グリーズ!をこう観た」という雑記です。
観た人がそれぞれに作品を楽しめるのが一番だと思います。

一応、ノベライズ版の文庫を読んで補完しました。(ストーリーや内容はほとんど同じです)
いしづかあつこ監督のインタビューなどは今後読みたいと思います。


浦安チボリとはなんだったのか?

本題の前に、物語全般について少しだけ話させてください。

まず当たり前ですが、「登場人物が語っていることが全て本当とは限らない」というのは、アニメや映画に限らず全ての物語に言えることです。
登場人物が意図して嘘をつく場合もあれば、本気の発言が間違っている場合もあります。
特に、回想など過去を振り返るシーンは主観が混ざっている場合が多いです。いわゆる、思い出補正というやつですね。
現実でも人間の記憶は完璧ではなく、美化したり、時には悪い方向に変化します。

そして「グッバイ、ドン・グリーズ!」の物語の中では、浦安チボリという女の子はロウマの回想シーンで主に登場します。彼女がなんだったのかと語るうえで、ここは忘れてはいけないと思います。

ではまずその回想から、
二人が会話するネモフィラ畑のシーンでは画面全体が青っぽくて、周りの景色は白くぼやっとしています。ロウマの住む、土っぽい町の景色に対して、現実味が薄い印象です。
その時に彼女が撮った写真はロウマのカメラにいまも残っていて、彼女のセリフ通り”確かにここにあったこと”を証明しています。

しかし、人の記憶が完璧ではないのと同じように、写真も見たそのままを記録することは出来ません。
写真を見て思い出すことは出来るけれど、その時に戻ることは決してありません。
それどころか、写真によって記憶は変化することもあります。
写真のような青い世界に二人がいるのは、
補正がかかったロウマの記憶ということを表していると思います。
それに、そもそもロウマは突然声をかけられて緊張していたので、記憶は曖昧なはずです。
そうなると、チボリが話す言葉はどこまでが正しいのか分からず、そこから真意を掴むのは難しいです。


物語後半では、チボリの撮ったもう一枚の写真が、ロウマにあの日を思い出させます。
写真には、ネモフィラ畑に赤いパーカー姿のロウマが小さく映っていて、それは彼女がロウマを見ていたことを証明しています。
このことにより、ロウマは彼が彼女に寄せていた思いとはちがうものと自覚しつつも、決して一方通行ではなかったことを知ります。
同時に、自転車で行ける範囲に留まっていた彼は、町の外の”世界”と繋がってることを微かに意識します。

そして終盤で、ロウマがアイスランドへ行くのを決めたことも、彼女の存在は間接的にだが大きく関わっていると思います。
なにより、チボリは、ロウマとトトをドロップと出会わせたきっかけです。
彼女が居なければ、お前の勇姿を見せつけろという言葉も、間違い電話をかけることもなかったでしょう。
ロウマはとっくの昔から”世界”につながっていて、そのつながりにはチボリの存在が複雑にしっかりと絡んでいます。


結果、
浦安チボリは、ロウマにとって憧れであり、きっかけであり、自分を世界とつなげた存在です。
観客にとっては、ロウマの主観を通して伝えられるがゆえに、彼女はミステリアスな存在なのでしょう。
”大切なもの”というのは、他人から見たらそういう不可思議なものなんだと思います。

最後に

こうして考えてみて、
僕がはっきりと分かることは、目の前にいないチボリとの繋がりや思い出がロウマを動かしたということ。
そして、その事実があるから、
ひとり遠く離れてしまったドングリーズも同じなんだ。と僕は思うことができる。

これがいまの僕の感想です。

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