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コロナを憎む


急な面会



どっぷり疲れてショックを受けた

このコロナ禍、声を出せない弱い人に一番しわ寄せが行っているのだ

それを痛感させられた一日だった。


 コロナが始まった2020年からずっと入院している親族を今日見舞いに行った。見舞いというより、今回は危ないかもと思い、「何かあれば連絡します」という看護師さんの言葉を遮って、特別に面会をお願いしたのだ。意識がなくなってしまってからより、顔を見て分かるうちに会いたかった。
 実際に会ってみて、まだまだ顔色は良かったが、会いに来る時期が遅かったことを痛感した。


 2020年は、まだ高齢者の病院は面会をさせていなかった。ただ、転院に付き添ったので車中で話し掛けたりすることはできた。でも、そのときも向こうからの言葉は一言もなかった。入院が続くうちに認知症が進み、こちらの呼び掛けに返事さえもなくなってしまったのだ。

 そう思っていたが、転院の翌日、看護師さんは「話せますよ」と否定した。そして、私に携帯ラジオを持ってくるように言ってほしいと頼まれたという。では、私の呼び掛けになぜ、返事がなかったのか、「車の中だったので、環境が変わって緊張していたのかもしれないですね」。それならば良かった、そんなこともあるのかと、プロの言葉を信じて、それ以上は詮索しないようにした。


病室で、ただ棒立ちに……


ウェブ面会


 2021年の暮れに数日間、面会の解禁された期間があった。だが、それができなかったのは、私がワクチン未接種で、国産のワクチンを待っていたからだ。そして、今年の初夏に初めてWeb通話をさせてもらえることになった。1人10分の画面越しだが、そこでちゃんと話せることも確認し、入院時よりも太って元気そうな姿に安堵したばっかりだった。

 だが、小さい子の成長も早いが、高齢者の体調が変わるのはもっと早かった。半年足らずだが、もう意識不明と似たような状態だった。看護師さんは「そんなことないです、さっきも『かゆい』と言っていたし」と言うが、話しかけ、体を揺り起こし、目が開いたので顔を近づけたり、手を振ったりしても、またつぶってしまうだけだった。
 手をもぞもぞ動かしたり、酸素の口当てを取ろうとしたり、手を上に挙げてみたりしているのだから、こちらの声に反応したり耳を貸してくれたりしてもよさそうなものだが、何度試みても全くこちらの働きかけへのリアクションはなかった。
 

これ以上、無理に起こそうとするのも酷でしょう

もうやめよう

だって、もうろうとしているんだもの

 結局は、短い時間、その肩に触ってみたりした後は、棒立ちでその姿を見るだけで面会は終わってしまった。時間帯が変われば、また覚醒するのかもしれないし、看護師さんのように長い時間同じ空間にいれば別のコンディションも確認できたのかもしれない。たまたま間が悪かっただけなのかもしれないが……。
 

 いつも近くにいる看護師さんより、めったに会えない私のほうが認知症の進み具合は分かる気がする。夏のウェブ面会のときも、話の内容があまりにでたらめで、事実認識がおかしいことに話し始めてすぐに気が付いた。聞こうと思っていたことは全部聞けなかった、体は元気そうでも認知症は相当進んでいた。そもそも私の職業を間違えるなんて……笑顔を見せながらも、内心はとてもショックだった。


いざとなると全く便りにならないのが携帯電話


 最初の入院のときに、こうなることを恐れて頻繁に電話を掛けるようにした。ところが、だんだん充電ができなくなり、一時退院したときには、携帯の操作すらもおぼつかなくなっていた。認知症とは哀れなものだ、こうして自分の生活の質がどんどん落ちていくのだ、そのときしみじみ感じた。

 自分の人生なのだから最期はどうしたいのか、いったい今は幸せなのかと、自分で判断したり、改善したいと、頭がしっかりしていれば考えることもできたはずだ。あれが食べたいとか、あの襟巻きを使いたいとか、写真が見たいとか、ウォーターベッドで寝たいとか、63歳で亡くなった祖母などは、死んでもいいから家に帰りたいと言って、男の人たちで布団ごと近所の病院から運んできたぐらいだった。
 そういうわがままを言っていい人生の終盤なのに、少しも自由の利かない場所に入ってしまった。本人の意思というよりも、病状の進行につれ、成り行きでそうなってしまったのだから、人生設計も、希望もへったくりも何もありはしない、何ということだろう。


一度きりの人生なのにこれでいいの?

お金があったって、使って楽しむことなんてできないじゃない

何か楽しいことがあるの?

大半の時間がベッドの上だよね

鳥のさえずりが聞こえる病院を選んだけれども

もっと聞きたいものとかはないの?


 コロナでさえなかったら足繁く通うことだってできた、そのために転院は私の近くにしたのだから。そもそも、コロナだから会えないと本人が分かっているのかどうかすら怪しい。認知症だと、こちらもそこがつらいのだ、自分は見捨てられてしまったと思っていたらどうしよう、そう思うと、すごく胸が苦しくなる。



このために用意しておいたN95マスクをして、病室に入った



 

こんなにコロナが長引くとは思わなかった


 高齢者の認知症は入院中にどんどん進む、コロナ以前の入院のときは月に一度は顔を見に行けたが、本人の気持ちや意思を聞くチャンスをコロナがみんな持っていってしまった。
 いや、こういうことになるとは思わず、そういう話を逃げていた面もある。誰だって今が永遠に続くと思いたいときがあり、相手が年を取ればそれだけ緩やかな日々がずっと続くと考えてしまうものだから。


聞ける雰囲気でもなかったんだ

聞けるぐらい親密でもなかったんだ

そうこうするうちに、コロナの波にのまれてしまった

長く続く巨大な波に……


 全てをコロナのせいにするわけではないし、してはいけないとは思うが、それを割り引いても、だらだらとくすぶり、医療機関の面会をこれほど閉ざす間に、ゆっくりと家族に会えずに亡くなる人がどれだけいることだろう。 コロナ死ではないが、コロナの波を受けたこういう医療機関での高齢者の孤独死も、コロナにまつわる悲劇の一つだ。

 誰も5年前には、こんな形で人生の終わりが来るとはと思いもしなかった、人は人に寄り添われて亡くなるものだと、当たり前にそう思っていたはずだ。考えるとぞっとする。そして、患者は当然つらいだろうが、多くの家族もまた、責めても詮無い自分を責め、苦しめているのではないか。


「みんなによくしてもらって」と、ご機嫌だったけれども

あの夏はさっと通り過ぎてしまった

何度も危なくなっても持ちこたえられたから

どこかで、また治るような気もしている


変な連絡など来ないで欲しい

もう一度回復してほしい

まだ諦めてはいない

コロナを憎む、寒い寒い12月の夜だ

                        2022.12.6

創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。