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【能・狂言】班女、貰聟

 2023年5月13日(土)、国立能楽堂の普及公演を観に行きました。演目は、能が『班女』、狂言が『貰聟(もらいむこ)』でした。まだまだ初心者の私ですが、今回少しステップアップ出来たように思いました。観に行って良かったです。メモを残します。

■能『班女』について

(1)作品概要・分類

 世阿弥の作。現在能。四番目物(狂女物)。
①「現在能」と「夢幻能」
 『班女』は「現在能」で、霊などではなく実在の登場人物で話が進行していきました。これまで私は「夢幻能」を観ることが多く、「現在能」がどんなものか、きちんと区別出来ていなかった面があったので、今回観ることが出来て良かったです。

(「現在能」とは)能の分類名のひとつ。現実の世界で起きる事件や出来事を題材として描かれる能のこと。「現在能」に対して、ワキの見た夢、または幻という形態をとる「夢幻能」がある<以下省略>

the 能.com「能楽用語時典」より

②四番目物(狂女物)
 以前にも書いたことがあるのですが、能は五番立として「神男女狂鬼」に区分されます。今回は、別れた恋人を思い続ける女性の狂女物でした。

 そして、甚だ僭越ながら、これまでの自分の人生の一幕を振り返って、五番立のどれに当たるか、ふと考えてみました。まず「神」ではありませんし、「鬼」までは行かないだろうと思いました。また、取り立てて美男子ではないので、「三番目物(女)」でもありません(三番目物には、美男子物もあるそうです)。社会人生活で大変なこと(狂)にあったこともあるので、その他の「雑物・狂物」に含まれるかもしれないなと思いました。もしくは、「修羅」まで行かなくとも、「二番目物(男)」でしょう。

(2)簡単なあらすじ等

①簡単なあらすじ

美濃の国野上の宿に、花子という遊女がいた。ある春のこと、花子は都からやって来た吉田の少将と懇ろになり、扇を取り交わして、再開を誓う。それ以来花子は、形見の扇を眺めてばかりいるようになった。起こった宿の長は花子を宿から追い出してしまう。その年の秋、吉田の少将は、東国からの帰り道、約束通り野上の宿に立ち寄るが、すでに花子は居ない。やむなく都に戻り、下鴨神社に参詣する。一方花子は狂女となって都に居た。<以下、省略>

対訳でたのしむ『班女』より

②「班女」と扇
 漢の成帝の寵愛を失った班婕妤(はんしょうよ、略称・班女)が、自身を「秋の扇(涼しくなって不要になったもの)」に例えたことに由来するようです。このように季節は秋で「扇」が効果的に使われています。『源氏物語』なども関わるようですが、ここでは省略します。

(3)演出等

①能面:「孫次郎」
②装束:花子の装束は唐織で、後場では右肩を脱ぎ下げます。シンプルな印象でした。
③囃子:「大小物」で、太鼓はありませんでした。(素人の私が恐縮ですが)大鼓が印象に残りました。強く打ったのが響き、次には弱く打たれ、緩急がつけられます。花子が狂っている感じが出ているように思いました。大鼓は「白坂保行さん」とプログラムにありました。

(4)感想

 冒頭、花子が橋掛りから出て来る場面からゆっくりしていました。また、緩急のついた狂う舞を、私も集中して観ることが出来たように思います。
 人生の途中で、狂う(気がふれる)ような状況に置かれることがあるかもしれません。今回の舞台を通して「狂気」を少し身近なことのように感じることが出来たように思います。また、私はミシェル・フーコをきちんと読んだことは無いのですが、『狂気の歴史』なるものが少し頭をかすめました。

■狂言『貰聟』について

(1)簡単なあらすじ

酔った勢いで妻を追い出した男。酔いがさめて後悔し、妻を迎えに妻の実家を訪ねますが、舅は「娘はいない」の一点張り。

国立能楽堂のHPより

(2)感想(少しだけ)

 今回、簡単にあらすじはおさえていたのですが、台詞も聞き取りやすく、また動きがはっきりしていたので、字幕等を追うことなくストーリーについていくことが出来、かつ楽しむことが出来ました。
 冒頭から夫が酔った様子で登場し妻に追い出すこと、妻の泣き方、夫と舅が四つに組んでの喧嘩の仕方など、視覚的にも楽しかったです。

以上です。

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