必要なのは「認識」×「決断」
1.認識がないとどうなるか?
人は失敗をすると、後悔をします。例えば、仕事で大きなミスを犯してしまったとしましょう。頭の中ではこんなふうに考えているのではないでしょうか?
「ああしておけばミスしなかったのに」
「このミスは私に非がないんじゃないか?」
「いちいち怒ってくる上司が悪い?」
「そんな風に考えたらまた同じミスをするかも」
「じゃあどうするればいいんだ?」
というように、思考しても一向に出口を見つけられず、グルグルと同じような思考が周回し続けます。
思考がぐるぐると堂々巡りしてしまうのは、「何を基準にして考えるか」ということが抜け落ちているからです。数学でも数字という基準に基づいて考えます。だから、その基準に基づいていつまでも論理が積み上がっていきます。
2.認識は思考の基盤を造る
そこで、「認識」が必要なのです。「認識」を考えるための基準にするのです。では「認識」を使って、思考を整理していきましょう。
まず認識すべきは、「何が起こったか?」ということです。つまり事実を認識するのです。
先程の例で言うなれば、「ある人がAという行動をした。それに対して上司が感情的に指摘した」といったところです。
この段階では、どちらが悪いか?とか、良識的なことや一般常識は一度置いておいておきます。
ただ何が起こったかのみに着目し、純粋な事実だけを見てください。
これが事実の認識です。
主観に振り回されないこと
個人の考えや主観は絶対性がありません。
ここで言いたいのは、自分自身の主観に振り回されないことも然り、だれかが言う主観的なアドバイスに振り回されないこともまた然りです。あくまで、ただその人がそう思うだけです。上司にしろ、先生にしろ、親にしろ、絶対的ではありません。絶対的なのは「何が起ったか?」という事実のみです。
ある人にとっては楽しいことであっても、ある人にとっては苦しいことかもしれません。
日本では良いとされる行いは、ある国では悪い行いかもしれません。
だからこそ、自分自身の経験則的な良識に頼っても、どちらが悪いかを考えても、結論が出ないのです。
しかし、「起こったこと」は揺らぎようがありません。主観にも価値観にも左右されません。絶対的です。
だからこそ、この揺らぎようのないことを思考のスタート地点とする。そこから確実だと言えることを一つずつ展開する。
これが思考のコツなのです。
認識×決断
私自身の主観になりますが、悩まない習慣を作るには、認識と決断という意識が必要不可欠だと考えています。「認識」というのは前述の通り、事実を把握することです。
「決断」というのは、「認識」をしたうえで、自己判断するということです。ここで言う自己判断というのは、人のアドバイスを一切仰がないとか、そういうことを言いたいのではありません。人のアドバイスを仰ごうが、自分の直感を信じようが、それは結局自分で決めたことだと自覚することを言いたいのです。
そして、決断の帰着する先は、「自分がどうしたいか」です。自分が自分の未来を決めているという認識が、自分の欲求に基づく判断を後押しします。
他人軸ではなく、自己責任ということを自覚しなながら自分軸で生きる。これが人生を活気あるものにするための第一歩なのです。