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「新聞記者」とメディアの聴力

最近の私のブログは、辻元清美の悪口書いたら辻元は選挙に落ち、Netflixの「新聞記者」の悪口書いたら文春砲で「新聞記者」に悪評が立ち、このあいだなんか「我が死後に大洪水」の言葉を引用したら津波がきたりして、すっかりデスブログ化していて困る(妄想拡大中)。

こっちは、辻元が選挙に落ちるわけない、Netflix「新聞記者」は大人気で皆褒めてる、という状況だったから悪口を言う気になるわけで、みんなが貶し始めたら尻馬に乗りたくない。今後は辻元と望月イソ子のどっかいいところを探して褒めたいと思う。

ただ、「新聞記者」の文春記事を読んで、東京新聞(中日新聞)が「新聞記者」望月イソ子に全乗りだというのを初めて知って、ドン引きした。ただ放任しているだけかと思っていた。東京新聞主催の「新聞記者」写真展とかやってるらしい。

少し前の毎日新聞の「桜」全乗りと同じで、狂ったかと思うね。望月イソ子さんが個人で何やってもいいと思うけど、あれに新聞社が乗っちゃまずいでしょう。それこそフィクションとノンフィクションの区別がつかない新聞だと思われる。

毎日新聞もそうだけど、「反アベ」をやると、反響が大きい、営業的にも数字が上がるから、経営者もそれに乗ってしまう。「よくぞ書いてくれました」「これからも応援します」という声が殺到するんだよ。いまどき、新聞にそういう声は来ないから、勘違いするんだな。貧すれば鈍すというやつで。

経営者の耳が不自由になっている。いわゆるサイレント・マジョリティーの声が聞こえなくなっている。前に書いたことあるけど、商業メディアが急に政治化、党派化すると、それは潰れる前兆だからね。もうダメかもしれんね。

その点、週刊文春はさすがだ。「反アベ」と思われていたのに、みごとに掌を返した。週刊文春の記事が月刊HANADAのアカウントでリツイートされているのを久しぶりに見た。

まあ、辻元さん、望月さん、がんばってください。

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