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「歴史改ざんファンタジー」の件

大阪の書店が、百田尚樹の「日本国紀」に「歴史改ざんファンタジー」という POPをつけて売っていた件。

話題になっていた時は、あまり議論に参加したくなかった。もう話題から遠のいたようなので、私の意見をこそっと書いておきたい。

私は、この書店さんの振る舞いはよくないと思う。憲法の言論・表現の自由に抵触するおそれがある。「批評」というより、「検閲」に近い。憲法学者は左の人が多いから言わないだろうが。

私が出版界に入ったころ、研修で取次の人の話を聞いた。ちょうど、ヘアヌードの写真集がわいせつで摘発されたところだった。

「私も、警察の取り調べを受けました。でも、私どもは、内容にかかわらず、出版物を読者に届けるのが務めです。それを警察はわかってくれなくて・・・」

と切々と訴えていた。

表現の自由や出版の自由は、こういうところで守られているんだなあ、と思ったものだ。

言論の自由や出版の自由は、自由権の核心の一つだと捉えられていると思う。そして、著作権、著作人格権は、著者の思想が歪められることなく読者に届くことを前提にしている。

この自由の権利は、出版社、取次、書店の3者が等しく守っていかなければならないものだ。

著作人格権違反が、書店に適用された例は知らないが、これはそれに当たるのではないか。このnoteでも、画像を使用する場合は、画像を作成した人への敬意が求められる。それが著作人格権だ。書店が、著作者の思想や意図を侮辱して展示するのは、人格権違反だと思う。

書店には、営業の自由がある。取り扱いたくなければ、取り扱わなければよい。ベストセラーは取次が勝手に送ってくる、という人がいたが、いまのシステムではそのまま返品しても書店はノーリスクである。

関西でも関東でも、左翼系の書店はいくつか知っている。新左翼系もあるし、内田樹とか佐高信とかの本をもっぱら売りたがる書店もある。それはそれで自由である。そういう本屋は、百田尚樹の本を売らなければいい。たぶん読者にとって不便はない。ということは、出版と言論の自由をおかさないということだ。

(もし、著作物に法的問題がないにもかかわらず、すべての書店がその販売を拒否したら、憲法の権利保障はどうなるか、というのは興味深い問題だが)

批評は、商売と関係ないところで、自由におこなわれるべきだ。言論の自由によって、別の言論の自由をおかすべきではない。

こういう話が一部で美談のように伝わるのには、新聞やテレビなど公共性の高いメディアが、百田尚樹をパージしている影響が出ていると思う。

百田尚樹をどう評価するにせよ、言論や出版のインフラ部分は、批評的に、ではなく、公正に運営されなければならない。





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