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「イマジン」の迷妄

「ウクライナ戦争」で、また「イマジン」を歌いたがる人が出てくる。

「国境がない世界」が理想か? 国境がない世界とは、地球上に逃げ場のなくなるディストピアである。その「国」で反体制になると、もう死ぬしかない。

「イマジン」が生まれた頃、私はちょうど小学生の卒業の時期で、卒業文集にこんな文章を書いた。

「ぼくは、国連より大きな平和主義の団体をつくって、世界を1つの国にしたいと思います!」

それは、日教組の先生に教わった通りの世界観で、「イマジン」と同じ世界観であることがわかるだろう。

それは、1970年代初めの典型的な思想だ。

そういう「夢想(イマジン)」が推奨された時代だ。

60年代が終わり、先進国で革命が非現実的になった時代に、

「重要なのは社会を変えることではない、あなたの『心の中』を変えることだ」

という思想が流行ったのだ。ジョン・レノンの曲は、その流行りの思想を表現している。

1970年代は「精神世界」の時代で、オカルトやカルト思想が流行った。日本でも「ムー」みたいな雑誌が創刊される。さすがジョン・レノンはそういう流行を先取りしたとも言えるし、根本は「カルト」思想だとも言える。

雨乞いをすれば雨が降る、というのと同じ、呪術的思考だ。

「みんなの心が『平和』になれば、世界は平和になる」

そういう思想だ。

しかし、実際にはその「平和」は、核の均衡という「心の外」の現実に守られていた。

永六輔の次のような「名言」もまた流布し始めている。

戦争なんてものは伝えられるような、なまやさしいもんじゃない。
戦争なんてものは反対だけしてりゃいいんだよ。

これもまた、その頃生まれた「9条信者」の思想を表現している。

これもまた、米軍と自衛隊に守られた日本の「平和」の中で、その現実を無視してこそ言えるセリフだ。

「イマジン」が名曲であるかどうかは別として、その曲調は明らかに「子守唄」だ。

ジョン・レノンは、個人的経験については「強い曲」を書いたが、社会的事象については「弱い曲」を書く。それは明らかに「反革命」的姿勢だった。彼の「反戦歌」は、革命よりも「愛」が大事だ、という姿勢だ。War is overという曲もそうだった。

「反革命」はいいとしても、それは、いかなる変革にも怠惰になるメッセージを含んでいる。

「イマジン」という子守唄は、私には「考えるな」というメッセージに聞こえる。考えなくても大丈夫、安心して寝てろ、というメッセージだ。

何もしなくていい。今のままでいい。今のままがいい。

永六輔のメッセージも、「考えるな」というのは同様だ。

平和が現実的にどう守られるか、などは考えなくていい。戦争反対を言ってりゃいい。

そういうメッセージを聞きたい人は多数いる。しかし、それでいいのだろうか。

こんなことを書くのも、今朝も「安部晋三の核武装論に抗議します」というツイデモのハッシュタグを見て、またゲンナリしたからだ。

「核武装論」への賛否はあるだろうが、議論すること、「考える」ことを止めるべきではない。

こういう左翼系の「デモ」の背後には、常に「イマジン」の「考えるな」という子守唄が聞こえる。


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