見出し画像

鶴見川のめぐみ

こんにちは、老人です。

私は、神奈川県の柿生(かきお)というところに住んでいます。柿生という名前の由来は、シンプルに柿が名物だったからです。

行政区では、川崎市麻生区となります。麻生区という名称は、本来は柿生区となるべきでしたが、なぜか麻生区です。(なお、読み方は「あそう」ではなく、「あさお」です。私も引っ越すまでは「あそう」だと思っていました)

川崎市を他県の人に説明するときは、「東京都と横浜市のあいだにある市だよ」というのがわかりやすいと思います。

さらに言うなら、東京都(人口1300万人)と、横浜市(350万人)をくっつける、接着剤みたいな存在が川崎市(150万人)です。

川崎市は、だから、南北(西北と南東)に細長い形をしています。そこで、いわゆる「川崎市の南北問題」が生じます。

川崎というと、南の、川崎港と工業地帯をイメージする人が多いと思います。しかし、北は、むしろ田園地帯で、農業は盛んですが工場はほとんどありません。

20世紀の後半からは、小田急線や田園都市沿線の川崎市の北が開発され、東京のベッドタウン、一部は高級住宅地になりました。そのため、北のほうが豊かで治安がいいというイメージが市内にはあります。それが「川崎の南北問題」ですが、南も、にぎわいがあっていい所ですよ。

(ちなみに、「川崎病」の川崎は、地名ではなく、発見した医者の名前ですから。ときどき間違えている人がいるので念のため)

南と北、というちがいとは別に、川崎市を二つに分ける、もう一つの要素があります。

それは、「川」です。多摩川水系と鶴見川水系があるんですね。

「川崎」という名前の意味は、「川の先」ということで、その「川」とは多摩川のことでしょう。だから、川崎市といえば、多摩川を思い浮かべるのは当然です。それは、東京と神奈川の境になっている大きな川です。

川崎のなかでも、多摩区や川崎区などは多摩川水系です。

昨年の台風で、武蔵小杉のタワーマンションが洪水被害を受けて話題になりました。武蔵小杉は中原区で、氾濫したのは多摩川、つまり多摩川水系です。

しかし、麻生区は多摩川水系ではなく、鶴見川水系です。

川崎市麻生区と、横浜市青葉区、都筑区などは、5年ごとに発表される市区町村別の統計で、つねに寿命が長い地区としてランキングに入ります。

これらは隣り合った地域で、かつては武蔵国都筑郡として一体でした。それが、いまは神奈川県川崎市、神奈川県横浜市、そして東京都町田市などに別れています。

我が家からちょっと自転車で走ると、川崎市から横浜市へ、あるいは神奈川県から東京都に入ってまた神奈川県へ、と、境界をしょっちゅう踏み越え、行ったり来たりします。

古代からある都筑郡が、近代に入って、なぜこのように複雑に分割されたか。それには、いろいろ事情があるのでしょうが、惜しいことだったと思うのです。

というのも、これらの地域は、鶴見川で結ばれた、一つの文化圏だからです。

そもそも川崎は南北の交通が不便で、北の麻生区から、市庁舎のある南の川崎区に行くのは、容易ではありません。ニセ東京、などとからかわれて可哀想な町田市も含め、町田市、麻生区、青葉区、都筑区で、いまからでも「鶴見県」または「都筑県」として独立できないものかと思います。

この地域は、鶴見川の水を引いた田園地帯が広がり、そのために緑が多く、空気がきれいです。

その自然のうえに、それぞれの自治体がそれを生かした施策をつづけてきました。緑を保存しようという姿勢は、麻生区の黒川や早野、青葉区の寺家に広がる広大な緑を見ればわかるでしょう。そして鶴見川の流域は、自治体の境界を超えて、散策とサイクリングのコースとして整備されています。

それが、このあたりを「長寿地帯」にしている理由の一つでしょう。住んでいる人が比較的豊かだというのもあるでしょうが、公園や散策ルートが整備され、きれいな空気を吸えるのは、気持ちのいいものです。

また麻生区の新百合ヶ丘周辺などは、風俗店の営業を制限しているため、治安もいいです。そのため、このあたりは子育て世帯が多く、子供が多いのも特徴です。下麻生には日本最大級の規模の「かきのみ幼稚園」があります。日中に歩けば、子供と老人が仲良く公園を共有している光景を見ることができます。

鶴見川のめぐみで、人びとを平和に、長寿に、たもっている。一つの「郡」が、ここにはあるのです。

いまは地図上から消えた、目に見えないこの「郡」のことを、これからも折に触れて書いていこうと思います。

(終わり)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?