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私のVICE CITY

あれは1980年代中頃か。カラヤンとベルリン・フィルの最後の公演を東京で聞いた。

1曲目はモーツアルトの交響曲29番だった。音楽が始まったとき、「あ、レコードで聞いた、あのベルリン・フィルの音と同じだ」と思った。

そのあとの、メインのプログラムは、カラヤン得意のチャイコフスキー「悲愴」交響曲だった。それを聞いているあいだも、「あ、レコードと同じだ。ずーっと、レコードと同じだ」と思った。

だから、なんだ、高いお金を払ってコンサートに行く必要はない、レコードを聞いていればいい、と思って、以後、コンサートには行かなくなった。

それから約20年後、初めてのアメリカ、ニューヨークに行き、街中を歩いてみると、「あ、『Grand Theft Auto : Vice City』と同じだ」と思った。

あのゲームの中で、街を歩いている人物たちは、なぜか胸を張ってオオイバリで歩いているように見える。日本でよく見る、うつむいて歩いているような人がいない。ぶつかったりすると、何だばかやろという態度をとる。

あれはゲームの中だけだと思っていたが、アメリカ人は本当にあんなふうに歩いていた。とくに太った女の歩いているさまなどが、ゲームとそっくりなのだ。あのゲームは、文化のそういう面まで巧みに写し取っていたのである。

「GTA : Vice City」は、そのころ私がはまっていたPCゲームだった。その架空の都市のモデルは、アメリカの1970年代くらいの西海岸だろうが、2000年代のニューヨークにも当てはまった。

なんだ、これなら、高いお金を払ってアメリカに来ることはない。グラセフやってりゃいい、と思って、以後、アメリカには行っていない。


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