リケジョの思い_8_

知らないことを調べる習慣

こんにちは。かきもちです。今回は研究室で学んだ、知らないことを調べる習慣について書こうと思います。恥ずかしながら身についてきたのは最近のことでした。

リケジョの思い(8)


知識の海で

 研究の過程では調べることが欠かせません。読む論文もインターネット上で調べます。世界中の研究者たちによる膨大な論文の中から、関心のあるテーマについて書かれた論文を検索し、探し出します。読む論文を決めたら印刷して読んでいきます。論文のほとんどは英語で書かれています。わからない英単語は辞書を引いて調べます。

読み進めていくと、専門用語も登場します。また調べます。こちらは辞書だけでは足りないことも多くあります。単に和訳しても、その定義がわからないことが多いからです。必要に応じて専門書や他の論文を参照します。専門用語の意味がわかったら、また次へ…。

うずうずと嬉しさがエンジン

 こうして調べ続けていると、だんだんと日常でも調べずにはいられなくなってきます。私は大がつくほどの面倒くさがりやです。しかし研究で調べることに慣れてくると、他の場面で知らない言葉に出会ったときにも、うずうずするのです。しばらく見ないふりをしていてもその言葉が気になって、文章を読んでも目が滑ります。

「あの言葉の意味はなんだろう。私は何か大事なことをしていない気がする。」という うずうずと、「まあいいか…意味は大体イメージできればいいや。」という億劫さの間でせめぎ合いが生じます。結局、せめぎ合い自体が苦しくなり、辞書に手を伸ばします。

実際に調べてみると、新しいことを知ることができて、しかも文章の意味がより鮮やかになります。「おお、そういうことか…!」知るというのは嬉しいものです。次に知らないことが出てくると面倒ながらもやはり調べてしまいます。そんなことをしているうちに、知らないことを調べる習慣が身に付きつつあります。

なめらかなサイクルへ

 よく「語彙力をつけるには知らない言葉を調べなさい」という話を聞きます。研究のおかげで知らない言葉を調べるようにはなりましたが、結果として語彙力がついたかどうかは不明です。日々調べては忘れ、また調べては忘れを繰り返しています。

しかし、たとえ語彙力がどうであれ、新しいことを知るとか、目の前のものが少しわかるようになることは、それだけで嬉しいものです。今は面倒さと嬉しさの等価交換ですが、いずれは何も気にせず調べられるようになるだろうと思います。それまでは、しばし修行の日々です。

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