見出し画像

「今日の給食って何だっけ?」のつぶやきにみる未来の学校

教室で毎日のように出てくる一言がある。

「今日の給食って何だっけ?」

学習の途中で急にそんな事が気になる。小学生は、みなそうだ。
一コマずっと集中するなんざ無茶な話で、疲れてくると別のことを考える。お腹がへってきたのも相まって、思考は給食へ。今日は何曜日だからパンだのご飯だの、もう体に染み付いている。

給食が学校生活の楽しみになっているからこそ、そんな一言が毎日出てくるとも言えるだろう。

今日の学校を考えるにあたって、給食は欠かせない要素である。

***

給食の文化も各地方や市町村によってバラバラだろうが、食べ歩きなんてことができたらおもしろいだろうなと思う。品数も、使う食材も、料理の種類も全然違うだろう。学校以外の一般向けにも作って販売すればいいのにと思う。それくらいのクオリティなのが、現代の給食だ。

ちなみに、最近は「名古屋の食文化」がテーマであった。パンに、味噌カツに、ういろう。子どもたちはみんな「何じゃこりゃ」と言いながら、食べ慣れない少し向こうの世界の食に親しんでいた。

もちろん、給食のクオリティが本場のレベルにとうてい敵いもしなのは当たり前だ。しかしながら、別の世界には別の食文化が広がっているということを認識することは大事である。

そういう意味では、現代の給食が提供しているのは「体験」なのかもしれない。栄養バランスや美味しさを担保するのはもちろんのことだが、地域の違いや良さをも発信して、子どもたちに個性を体験してもらっている。その体験から広がる興味もたくさんあるはずである。

この体験がもし授業などに結びつけば、もっと面白いものになるだろう。

***

学校というのは、たいていの場合「勉強しにくるところ」という感覚を持たれがちである。その感覚は間違いではなく、現に勉強しにくるところなのだが、これからの時代は少しその辺の感覚を変化させていく必要があるのではないかと思っている。

「勉強しにくるところ」となると、少し堅苦しいというのが正直な印象。それもそのはずで、「勉強」という言葉にはもともと「無理にでも努力する」というような意味合いも含まれている。そのせいか、学校という場所が息苦しく感じる人も多くいる。

そんな堅い場所ではなくて、もっと「体験できる場所」というような、少しでも子どもが主体的に学びたくなる仕掛けやプロモーションがあってもいいともうのだ。

そう考えると、昨今の給食の変化というのは興味深い。給食を通じて、さまざまな発見や学びを提供している。事実、給食のおかげで楽しみにながら食に興味を持っている児童が大多数で、だから授業中の一言で毎日のように

「今日の給食って何だっけ?」

となっている。

こんなノリで、
「今日の国語って何だっけ?」
「今日の算数って何だろう?」
という呟きが増えたらいいのになと、給食を食べながら少しばかり遠い理想を妄想してみたりしたのだ。

ぜひとも、給食が主体的な学びをリードするパターンを見てみたい。

2024.01.31
書きかけの手帖

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?