ミニマリストに学ぶ
以前、講演を聞かせていただいたジャグラーの方がいて、その人のインスタをフォローしているのだが、なんでもミニマリストだという。ジャグリングの投稿ばかりかと思えば、その日はなんと自分のお家をあげていた。見ると、確かにミニマリストを極めたようなお部屋。ほぼ何も置いていない、新居の状態がキープされたようなお部屋であった。
ミニマリストも極めると、新居を汚さないままに過ごすことができるらしい。しかしながら、驚くのは11月から住み始めて電気もガスもまだ使っていないとのことだった。あまりにもミニマルすぎる生活である。
携帯の充電はどこでしているのだろうか。
ご飯はどうしているのだろうか。
お風呂とかは入らないのだろうか。
ミニマリストを極める彼らの感覚や思考には、僕ら一般人にはまだ到底追いつくことができないものがある。
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電気もガスも使わない生活は僕には想像できないのだが、携帯の充電くらいは家でしなくてもなんとかなるような気がする。それこそ、ケチな感覚かもわからないが職場で充電させてもらうなどすれば、だいたい対応可能だ。休日もカフェで時間を過ごしながら、充電することはできる。あとは無駄に携帯を使わない習慣を身につければ、完成だ。
しかしながら、食事はやはり電気やガスがないとどうしようもない。となると、その人はきっと外食中心の生活なのだろう。現代において外食というのは当たり前のものとなった。なんなら、コンビニで買ってあたためて家で食べるというのも、れっきとした選択肢の一つである。コンビニがまだ当たり前ではなかった時代には考えられないかもしれない感覚だろうが、時代は変わったものだ。
お風呂だって、銭湯がある。特に大阪のような都会にはその街の銭湯がいまだに存在していて、そこで体の垢を落とすことができる。まあ究極はウェットシートで体を拭けばいいのかもわからないが、はたして究極のミニマリストの方々はそこまでの生活をしているのだろうか。
そう考えると、なんだかミニマリストの行き着く生活というものに興味が湧いてきた。
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ミニマリストとして電気もガスもなしにこの冬を乗り越えるのも大変そうである。しかしながら、最近のおうちの気密性たるや発展著しく、家に帰ってくるだけで暖かさを感じるところも多くなった。以上で述べた例も踏まえてみると、そんな感じに「技術の発展」や「社会の変化」によって、生活の一部を家の外に頼る選択肢が非常に増えたことも、ミニマルな生活を可能としている。
家にほとんど家具家電もなく、電気やガスもないとなると、その生活のほとんどを外部に依存することになる。となれば、それはそれで自分の力で生活しているとは言えるのだろうか、なんて考えがふと頭をよぎる。別に自分の力で生活をしなくてはならないということはないのだが、しかしながらちとやはり極端すぎるような気がしなくもない。
超ミニマルな生活をしている人たちを批判したいわけでは全くなくて、僕はむしろ学ぶべきところが多いと思っているような人間である。だが、その考えにまだ追いつけないから、こう雑文を書きながらちょっと思考をめぐらせているだけなのだ。
自分の生活には、無駄が多いよなーと。
まあそれでもなお、僕はミニマルな生活をしている方ではあるとは思うが、インスタやその他SNSを見ているとやはり上には上がいる。そんな人々のありがたい投稿を参考にしながら、僕は僕なりの生活を築いていきたいものだ。
2024.03.03
書きかけの手帖
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