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こんな時だから再会はお互いの意思で作るもの

ちゃんと生きてりゃ、知り合いが増えて友だちができる。

それが東京だったら。テーブルクロスみたいにSNSが敷かれていたら。異常な数のつながりが増えて、顔と名前が一致しない漢字の「友達」×「数字」が並ぶ。そのひとつひとつが自分の意思で、受け入れたことの結果なのかもしれない。TinderのYES/NOPEみたいな気軽さで判断できたらいいけれど、自信のないときほど”もしも”のつながりに期待するのかもしれない。

2020年の2/3が過ぎ去った。足元を見つめて、小さな自然の一部に目を向けて、やりたいことをやってきた感覚もあるけれど、記憶を辿るとそこに浮かんでくる人間の顔の数は決して多くはない。政治家の挨拶まわりみたいに各地の人と会って対話を繰り返してきた数年。1%の最高な出会いを期待して。これまで積み重ねてきた1%の友人や先輩との”再会”を糧にして。どれだけ全速力で走っていても、コケないように支えてくれたその”再会”が減ってしまったのは、移動と空間の制限を人生はじめて受けた反動なんじゃないだろうか。

だったら、再会は作ればいいと思う。自分だけの意思ではなく、お互いの意思が重なり合ったときに、楽しい再会は生まれる。どの土地に住んでいようが。互いのライフステージが変わろうが。再会すべく人とは年に何度も再会している。

これは東京から長野に移住し、全国各地をふらふらと旅しながら、週に何度も何度も飲み続けてきただけの男の実感値でしかないけれど、会いたい人とは必ず会えるようになっている。きっと再会のゲームマスターがこの世には存在しているんじゃないかな。

東京の緊急事態宣言は、あるがままに繰り返していた再会の一手を、再会の芽を、再会の残り香を一挙に打ち消した。是非については各々が考えればいいと思うけれど、再会の一歩手前にある”出会い”を作る優秀な四季「春」が消失している我々にとって、長雨からの猛暑ワンセットなこのギラギラした「夏」は再会をひっそりと作っている。

ある東京の友人と9ヶ月ぶりに再会し、サシでお酒を飲みながら話した。

「これまで誘い誘われて、数多くの人と再会を繰り返していた。それはすごい楽しかったし、なんの疑いもなかった。だけどコロナをきっかけにして、改めて再会したい人の顔は限られていた。一度もそんな風に考えたことはなかった。でも、気づいてしまったそれはもう後戻りできないのかもしれない」

互いの近況を報告することも、ちょっとした思い出話しも、くだらない会話も、下世話で人間臭い価値観のぶつけあいも、これまでの再会で何度も繰り返してきた。だが、一生のなかで価値観に大きな変化があった報告は数えるほどじゃないだろうか。

故郷や家族と距離を置いて、新たな土地を見つけて住処を探すような日々を過ごしていると、糸の切れた凧のように飛んでいってしまう。資本主義×東京との距離感もようやく落ち着いて俯瞰できるようになったけれども、心身をリアルに移動させながら次々と小さな戦場に自己投影するような生活は、友人がぽつりと話した価値観の変動を幾度となく経験してきたように思う。

だからこそ、いま。

再会を意図して作り、こうした対話をじっくり過ごすことに大きな意味があるように感じている。たとえ意味がなくとも、信じてきた自己と向き合い、きっとベストだった環境に対して疑いを持ち始めた人間同士の再会は、いまこの時期の環境下でしか発せない言葉があるはずだ。それを楽しみたいと切に感じているからこそ、少しずつ再会のお誘いをしていくつもりだ。




1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!