数値目標を立てないオウンドメディアが5年続いた理由は、結局「人間の感情」だった
2015年5月11日に開設したメディア「ジモコロ」が本日で丸5周年を迎えました。立ち上げ準備当時は31歳だったので、現在37歳の自分にとっては5年以上の時間感覚が流れています。時の流れはシビアに進んでいくよねぇ。
さてさて、どこでも地元メディア「ジモコロ」は大風呂敷を広げたローカルメディアです。全国47都道府県に実際足を運んで取材する。一次情報にこだわりきった編集方針で続けてきました。
実は株式会社アイデムのオウンドメディアで、求人(仕事)×文化(地元)をコンセプトに掲げたことによって良くも悪くもなんでもござれな媒体ともいえます。クライアントのにおいが一切しない、広告臭もしないことで有名。ほんとクライアントの胆力で成り立っているんですよね。
5年前はオウンドメディア全盛期。あれからほとんどのメディアが閉鎖していて、ジモコロはのらりくらりと数多の危機を乗り越えて続いています。経済持続性を考えれば、ウェブメディアが効率よく儲かるわけがありません。手間はかかるし、育った人材はどんどん離れていくし、検索流入目的のSEO価値観もグーグル先生の掌のなか……。
ぐるぐると変わり続ける価値観のなかで、なぜジモコロが生き残っているのか? 数値目標を立てないってどういうこと? ここ最近、メディアや編集の話をまったくしなくなったジモコロ編集長が、そのあたり参考にならないレベルで整理してみたいと思います。
PVの魔物に抗い続けてきた5年間
思えばオウンドメディアの宿命である「PV(ページビュー)の魔物」にしつこく抗い続けてきました。人間は目標がなければ進むことができない。これは当たり前の考え方なんですが、ことオウンドメディアに関していえば現場担当者 VS 数字で評価基準を下す上司との戦いが厄介なんです。
そもそも1本あたりの記事でPVを伸ばすことは容易ではありません。考え得る武器は「凄腕ライターに書いてもらってバズらせる」「SEOでコツコツ検索流入を狙う」「大量生産で記事本数を積み上げる」などなど。これらのやり方で成功を収めたメディアもあるかもしれませんが、身近な課題で頭を悩ませてきたのが「凄腕ライターに書いてもらってバズらせる」問題。数字を期待された書き手の大半は、SNS最前線に放り出せれてバズればバズるほどに無自覚な悪意の石つぶてを投げられて負傷しています。
勇敢な戦士たちが残したバズ記事。代表作となって出世街道を駆け上がっていく好例も多々あるんですけど、元のメディアが閉鎖してしまったら元も子もありません。あれ、おれの代表記事が世の中から消えた…? 消えたチーズは名著になっていますが、消えたバズ記事は名著になりません。儚いバズ記事の寿命は年々短くなっていて、「おれたちはなんのために戦ってきたんだろうか?」と戦線に飛び込む書き手が減っている気がしてなりません。
ジモコロは開始3年目で月間100万PV / 30万UUを達成。2020年時点では月間110万PV / 50万UUぐらいを維持しています。月に約12本更新。1記事あたり5000字〜8000字。1記事あたりの滞在時間は3〜5分も珍しくありません。気になった記事を1本読めばお腹いっぱい。わざわざ全国の現場にお金と時間をかけて取材し続けてきた非効率な運営方針は、言い方を変えると「数字より現場!現場で信頼を貯めるんじゃ〜〜〜〜!」と舵を切ってきました。自然にPVが伸びるのはすごく気持ちがいいんですけどね。欲望と経済の矛盾のなかでジモコロは続いてこれました。
あえてPVの魔物とは戦わない宣言。PVを積み上げるための強引な手段が人を幸せにせず、結果自分たちのクビを締めて閉鎖の崖っぷちへ突き落とされる。だったら最初からPVに抗うのをやめましょう。こんな姿勢を示しながら、おもしろい記事を作る。無理しない最善の努力を見極めることは、開き直りに近いんですけど、無理なもんは無理だもの。ジモコロのMAXは月間100万PV強です。これを許容してくれる株式会社アイデムはオウンドメディア業界のガンジーなのかもしれません。
久しぶりにアナリティクス見たら4月は669,469ユーザーに!普通これだけUUあったら200万PVぐらいあってもおかしくないんですけどね。1記事でお腹いっぱいメディア「ジモコロ」の証明だなこれ…。
SNSで可視化されづらい信頼を貯める
PVの魔物と戦っていると目に入らないことがあります。それは読者が求めること、取材側の好奇心に紐付いた熱量じゃないかと考えています。PVの出やすいジャンルばかり書き続ける行為は、自分を押し殺すことになりがち。もし江口洋介が編集長なら「そこに愛はあるのかい?」と問いただしてくることでしょう。
ことジモコロにおいては「地方の現場の声」をしっかり届ける役割があると考えてきました。口を酸っぱくして何度も伝えている一次産業(農業、林業、漁業)の課題から職人の後継者問題など。課題と構造が複雑すぎて、東京ど真ん中の情報発信では立ち向かうのが困難です。なぜなら関心を持ってる人が少ない=PVが出づらい問題にぶちあたるから。
前述の通りジモコロは、寛大なクライアントのガンジー許容量に甘えて「好奇心剥き出し」かつ、取材したい土地に好きなだけ行ける自由度があります。災害がおきれば支援的な取材記事を作ることもできるし、人との縁がつながって取材先の土地ありきで企画を考えることも珍しくありません。これはHuuuuの得意なフリースタイル取材で、クライアントにも「現地に行ってから企画考えます!その場で掴んだネタが面白いので!」とOKをもらっていました。
普通の編集部なら「おいおい、経費を使うなら先に企画固めてから行きなさい」となるかもしれませんし、企画を事前に固められるならそれにこしたことはありません。言い方を変えれば、現地に行かないと見えてこない情報があまりにもローカルの現場には多すぎる。その土地の個性や根を張って活動し続けてきたプレイヤーたちと会わずに、企画を考えることへの疑問が出てきちゃうんですよね。
ただ、あまりにも準備をしないで知らない土地に乗り込んで失敗したことも正直あります。取材工程なし。頼れる人もいない。その状態でなんとか撮れ高をおさえるべく、脳みそフル回転で動き続けた北海道・道東ツアー4泊5日はなかなか大変でした。11月下旬の中標津は15時過ぎに日が落ちて、取材できる時間がそもそもなくなるというね。自然の変化に対して疎かった時期の失敗談です。
でも、人間は困りごとを実感してから本気を出す生き物です。ドラクエみたいなRPGと一緒で、飲食店や宿で情報を集めて、次の一手を考える。右に行くのか、左に行くのか。選択肢を自分で持ち寄り、直感にも似た嗅覚で進むべき道を見つける。これって人生そのものの面白さが詰まっていると思いませんか?
そう、ジモコロ取材ツアーってめちゃめちゃおもしろいんですよ!
とにかく現場に足を運ぶ。身体性を伴った取材は、元々狙っていた企画に合わせた情報を拾い集めるだけでなく、五感をフル活用した想定外の情報を浴びる行為なんです。ほら、旅行の往路は時間軸が長くなるけれど、帰路は短く感じるじゃないですか。はじめて見る景色は長く分厚く感じて、一度見た景色は短く薄く脳が受け取る。想定外の情報をどれだけ浴び続けるか。いわば無駄な時間にこそ、次の企画のタネが埋まってるんですよね。このタネを拾い続けるために、編集長としてあらゆる現場に訪れる決意を携えて取材してきました。
現地に身体を運ぶ効能はSNS上でもあります。それは47都道府県の各地に住んでいる当事者の人たちに向けて「ジモコロ編集部は実際に取材してますよー!遊びに来てますよー!」と足跡を残していくこと。その事実がそのまま信頼に繋がるはずなんです。全国対象のローカルメディアは何度も言いますが、お金と時間がかかる。だからこそ現地のライター編集者に任せた方が早いっちゃ早いんですけど、その土地に生まれ育った人が気づける面白さは固定化しがちなんです。
大事なのは外の編集視点を用いて、ジモコロらしさを担保すること。ローカルメディア業界では新参者だったので、全国行脚を重ねながら課題を抽出することを意識していました。ここで誰かに預けてしまったら、よくある地域の情報になってしまう可能性が高いですし、新米編集長として現場の経験値を積むことが読者や書き手から信頼されると考えていました。
ここ1年ぐらいは若手のライター編集者に、私が気が狂うほど時間を費やしてきた現場取材を任せるケースも増えてきています。全く同じおもしろさや喜びをジモコロ編集部として分かち合いたいんですよね。過去に「メディアづくりは畑仕事に似ていて、土を耕し種を蒔き、立派な畑にするのは3年かかる」なんてインタビューで答えたことがあるんですけど、ジモコロはまさにその状態です。
貯めた信頼を土台にして、新たな収穫作業は若手に託す。正直言っちゃえば、日本の課題や何百年も続く知恵の入り口に立ってしまった私は物事を難しく考える癖がついてしまい、当初の良い意味での軽薄さが失われつつあります。ローカルの先輩編集者・藤本智士さんに言われた「ジモコロは軽薄さがちょうどいい」の言葉がじんわり心に残っていて、不可逆な価値観に身を投じている自分の精神性は現場から距離を置くべきだと思っています。いっそ編集長もそろそろ20代前半の「今を生きる青年」に継ぎたいぐらいです。
最後はオーナーの友だちの息子が知ってたから
PVの魔物とはあえて戦わず、現場に足を運んであらゆる面で信頼を貯める。編集長としてもうひとつ意識していたのは「社会意義に向き合う」ことです。
一次産業や地方の課題や面白さを追求することは、めぐりめぐって日本全体にポジティブな影響を与えるはず。遅効性の文化的価値は侮れません。PVは速効性の高い性質を持っていますが、人間の豊かな感情や人格形成に影響を与える「文化資本(カルチャー)」は5年後、10年後にこそ花開くものです。大好きな本『ゆっくり、いそげ』のごとく、腐らない記事を作り続けて、当時15歳でジモコロを読んだ青年が、20歳になって一次産業を応援する活動をしていたら最高じゃないですか。
ほかにも災害関連の記事も数多く作ってきました。熊本大震災では東京中心に全国から100人集めて、自腹でお金を使って応援するツアーとか。ただ取材するだけではなく、誰にも頼まれずに必要だと思ったことを実行する。そこに損得勘定があるかないかでいえば、正直ある。利己と利他はワンセットで社会に対して姿勢を示す。これはメディアでも、法人のHuuuuとしても、個人としてもブレない価値観です。
ウェブから飛び出してフリーマガジンを作ったのも同じ理由で、物質的な価値観を流通させることで信頼を得るため。紙質にこだわり、印刷にこだわり、捨てられないフリーマガジンを目指して作りました。制作コストは1号あたり数百万円。それをクライアントは快諾してくれるんですよ。アイデムってめちゃめちゃ懐の大きい会社なんですよね。
小さくできることからコツコツと……。大阪で生まれ育った私のなかの西川きよしが言うわけですよ。なにせ西川きよしも私も新聞配達から這い上がってきたタイプなので、身体を運んで情報(=新聞)を届けることは得意なのかもしれません。
しかし、広告領域で運営しているオウンドメディアはお察しの通り持続性と相性が悪い。景気が悪くなり、広告費が削られたら、真っ先に切られる存在だからです。PVとは格が違う最強の魔物「費用対効果」が立ちはだかるわけですからね…!! 会社員に費用対効果を求めたら、よほど自信満々の実績をあげてない限り何も言えません。文化的価値も社会意義も、資本主義ど真ん中で生活する私たちにとっては「余力あってこその文化的投資」という現実もまた目の前にズーンと座ってますから。コロナ以降、SDG`sは続けられるのかい…?
ジモコロも過去何度も危機を迎えています。「今年いっぱいで終わるのか?はたまた、もうちっとだけ続くのじゃ…なのか?」これもまたアイデムのジモコロ歴代担当者たちが激アツな意思をもって上司を説得し、求人媒体なのに営業の価値観をスーパーブロック。ジモコロに広告臭がしないのは、クライアント側の「ジモコロはアイデムの聖域です」と言わんばかりの御加護によって成り立っていたんですよね。
しかも直近では、「オーナーの友だちの社長の息子がジモコロを知っていて、『だったら続けようじゃないか』となったらしいですよ」とめちゃめちゃおもしろい生き残り話を聞いて驚きました。PVの魔物と戦わなくても、オーナーの友だちの社長の息子に届いていればオウンドメディアは続く。日本昔ばなしみたいな話じゃないですか、これ。過去、オウンドメディア担当者の悲痛な叫びを聞き、何度も直接相談されてきましたが……。
最終的にはオーナーの感情を動かすことが近道だったなんて!
5年前にタイムスリップして自分に伝えたら、こんな結果になってないとは思うけれど。これがジモコロという特殊なメディアがたどり着いた答えです。長々と5000文字強書いてみましたが、まじで参考にならないですよね。会社によってそりゃ全然違うんだから。
というわけで、ジモコロ5周年のよくわからんnoteでした。この記事の制作過程はFacebookで「ライブライティング配信」をしながら仕上げました。
引き続き、どこでも地元メディア「ジモコロ」をよろしくお願いします。ハッシュタグ「#ジモコロ5周年」を覗いたら、関わってくれた人たちのコメントが並んでいて最高です。
1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!