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8年続けたジモコロ編集長を引退します

全国47都道府県を駆け巡る冒険に区切りをつけた。

元々バックパッカーの経験もなく、日本国内に絞った数多の旅路は”自己を確立するため”の時間だったように思える。すべてが新しい体験だった。

仕事の領域を超えた非合理的な運動は、好奇心の火種を大きな炎へと変貌させていった。原動力はなんだったのか。だれに頼まれたのか。何もしらなかった無知でアホな自分にとってのジモコロ編集長の小舟は、大きな時代のうねりを受けて流されるままに進んでいくこととなる。

見知らぬ世界に飛び込んで、誰かの人生に土足でズカズカと踏み込む。一方的で軽薄な行為にも思えるインタビュー取材の時間は、いつしか人間と人間の対話でしかないと感じるようになった。

同時に、貴重な時間を割いてもらった僅かながらのお礼として、「流行り廃りではない。世に残り続ける言葉のアーカイブをするぞ!」と意気込むように。その価値の判断は取材対象者、そして読者が判断することでしかないとは思う。それでも、お互いにもう一度再会したいと心から感じ合えるようになることを願っていたし、今でもその気持ちは変わらない。

ラッパーのSEEDAは『LIVIN`』で「20までに30が決まる 30までに50が決まる / 自分を好きになる 自分がはっきりしたとき 人を好きになる」と歌った。ジモコロ編集長を自ら買って出て、全国行脚を始めた年齢は32歳。社会への好奇心と体力ゲージが満ち足りたタイミングだったといえるだろう。

そもそも上京は26歳だし、社会人として認められたのは28歳。コンプレックスまみれかつ、周回遅れもいいところの自分にとってこの仕事は「40までに死に様が決まる」ものだと捉えていた。

心の隙間に全国の景色が流れ込んできた。その土地で生きる覚悟を持ったかっこいい大人の立ち居振る舞いに痺れた。優しくて熱い。社会と接続した前向きな運動体は、触れるものの脳に刺激を与えるのだろう。わからないが増え続けた私は濁流のように感情が乱れ、興奮状態に陥る。ここ4年ぐらいは不眠気味で不調がベース。友人たちが爆笑するぐらいのサプリを寝る前に飲んでいたのは、それでも明日はやってくる現実のためだ。

暮らしを置いてけぼりにして、「いま、やるしかねぇんだ」と覚悟を宿し、ドーパミンを分泌し続けるハイな状態。やらされてるんじゃなくて、楽しくて楽しくて仕方がないからやれたんだと思う。朝起きるたびに「ここはどこだろう?」と、移動しすぎの病は戸惑いと喜びをもたらしてくれる。ジモコロの取材は人間力と向き合うことだから、土地の感情を引き受けることにも近い。実際、最近数年ぶりに会った人たちから「あの時は顔が険しかった。いまは柔らかくなったね」とよく言われる。

勢いはそのままに。生存戦略で独立の道を選び、既存の退路を断った。社会からの要請と充分すぎるほどのリアクションが、目に見えないエネルギーを与えてくれた。イチから仲間をかき集めた。ライター、編集者、カメラマン、デザイナーはもちろん、ゲストハウスのオーナー、発酵デザイナー、先輩のローカル編集者、アウトドアショップのオーナー、初めて会うフレッシュな若者、ローカルで泥臭くもがき続けるプレイヤー、代理店を飛び出た仕事仲間など、数え上げればキリがないほどに声をかけた。いま仲良くしている人たちの9割が、ジモコロで出会った人たちだ。ただの小舟がそれなりの船に育っていて、一緒にオールを漕いでくれる仲間がたくさんいる。

合言葉は「やってこ!」。

自分を鼓舞し、一歩踏み出すことに躊躇を覚えている人の背中を押し続けた。今思えば無責任で失礼なことばかり口にしていた気がする。深夜までの深酒で、脳をスパークさせて言葉を研ぎ澄ますことも多かった。ただ、がむしゃらだった。止まることができなかったし、止まったら何かが終わると思い込んでいたのだろう。ジモコロきっかけのメディア稼業はいくつも枝分かれし、いまだ続いている仕事もおかげさまであるし、リアル店舗運営や出版活動といった実践も増え続けている。

そして2023年、ふと立ち止まった。厄年が近い。世は不景気でこれまでのような自由度はきっと小さくなるだろうし、短い時間のなかでいろいろやりすぎた反省もあった。兼ねてから心に残っていた先輩編集者・藤本智士さんの「柿次郎はいつジモコロを捨てるんやろうなぁ」が蘇る。もう6年も前の言葉だったけれど、冷静に己を振り返ったときに「やらずに、捨てよう」と決めることができた。

健やかな状態をキープしないと好奇心が目減りすることはハードでタフな取材ツアーで何度も感じていたし、大自然に拠点を移してから思考の大半が「いかにどう楽しく生きるか」に集約されていったのは必然だろう。風から土へ。マクロからミクロへ。抱えきれないほどの欲望に見切りをつけて、拾いすぎた手の平からこぼれ続けるなにかに価値を見出すことに諦めがついたのは、他人に向ける矢印を自分にググっと切り替えられたのが大きい。

もうひとつある。よくよく考えたらゼロイチの仲間探しで、最初に声をかけた友光だんごが立派に育っていたのは幸運だった。何度も何度も口酸っぱく言ってきたが、これまでの旅路は彼が伴走してきたからギリギリで成立していたことに尽きる。共に過ごした時間は週5通勤の関係性よりも圧倒的に短く、月に何度かなにかを埋め合うように言葉を投げ合う。長野と東京で距離も離れている。それでも続いているし、だんごさんを慕う人がやまほどいる。きっとこれからも増えていくだろう。

マイペースで、どれだけ疲れていてもスッと10秒で眠れる才能はあまりにも羨ましい。人に優しく、好奇心旺盛で、真っ直ぐ素直な姿勢であらゆる物事に向き合えるのは、睡眠力以上の適正だろう。残念ながら睡眠力を失ってしまった私は、膝を壊したプロレスラーのように引退するしかない。破壊なくして創造なし。捨てることから、始まることがあまりにもある。そろそろ「ええ加減」なんじゃないかと決断することができた。

2023年5月11日、Huuuu担当のジモコロ編集長は徳谷柿次郎から友光だんごに権限譲渡します。私は肩書きをおろして、編集長務めから引退し、だんごさんを支えるいちライター編集者に。まだまだおもしろい企画は山ほどあるし、これまで出会った関係性の発展型はブリコラージュ的に編める。プレイヤーとして実践する土俵が変わるだけで、これからも挑戦する姿勢は崩さない。だって、ジモコロ的な生き方が骨の髄まで染み付いてるんだから。

ここ数年ずっと聴き込んでいるTHA BLUE HERB、BOSSの言葉で今回の引退宣言は区切りたいと思う。これまでの自分へ。これからの自分へ。

「一番いいのはまだきてない」

「追う者は追われる者に勝る」

「ないなら、つくれ、いないなら、なれ」

環境に負け続けた10代、言い訳ばっかりしていた20代、やることばっかり考えていた30代、そしてこれからじっくり腰を据えて土地に根を張るであろう40代。人生は絶望したくなるほどに長い。あと40年もある。

その9割がしんどくとも、1割の絶対的な幸福を噛み締めよう。孤独に飲み込まれないように、生きるために不可欠な共同体を得るために根付く。どこにでも逃げられない環境を強く意識しながら、どこでも暮らせるようになろう。どう生きるかよりも、どう死ぬか。承認欲求を蹴飛ばして、想像力のない世界に中道の提案をこれからもぶん投げ続けたいと思う。

極端な価値観に甘えず、ど真ん中の言葉で。ひとりひとりの言動に環境が生む影響を考えて。地道な横歩きから見えてくる経済非合理性の果てにある文化の種蒔きを信じていきます。おれたちの世代がやらなきゃいけないことがあまりにも多すぎる。ゆっくり、やるぞ。

ジモコロ8周年の振り返りと編集長交代の経緯は、藤本さんとの対話でまとめさせていただきました。ぜひ合わせて読んでください。

最後に感謝の言葉

おつかれさまでした

約8年間、取材のご対応をしていただいたみなさんありがとうございました。

何度も繰り返しますが、他人の積み上げた人生に土足でズカズカと上がり込むようなインタビューは、後出しでもいいから信頼と関係性を感じてもらえるよう振る舞わないといけません。結局は人と人が繋がっていくための手段、拡大解釈すれば全国の土地の文化と仕事に触れるためにジモコロが機能していたんだと思います。

全国47都道府県を訪れて、全国に仲間が増えました。

10代、20代の人たちに「ジモコロ読んでます!」と言ってもらえる奇跡の瞬間も各地で経験しています。いわゆるオウンドメディアの領域を超えた影響力、足で稼いだ泥臭い信頼が、きっとジモコロには宿っているんじゃないでしょうか。

こんなウェブメディアは二度と作れない。時代が生んだ奇跡。声高に叫ばれた「地方創生」の大きな流れを捉えて、携わる者の人生を大きく揺れ動かし、地元に根を下ろした経済活動を可視化する側面がクライアントワークとして提供できた価値だと思っています。アーカイブされたコンテンツ資産はまだまだ生かせる気もするし、誰も真似できないオリジナリティのあるジモコロはきっとこれからも続くことでしょう。                                                        

これまで関わってくれたライター、編集者、カメラマン、イラストレーターの皆さん、アイデム歴代担当者である岡安さん、伊志嶺さん、藁品さん、古巣であるバーグハンバーグバーグのみんな、ぜんぜん会ってないけれど、本当にありがとうございました。感謝の気持ちしかありません。

充実した40歳のまま引退の道を選ぶことができました。顔がツルツルからザラザラになるぐらいのとんでもねぇ仕事でした。ハードワークと加齢による影響もありますが、生き方も価値観も一緒に過ごす仲間もぜんぶ入れ替わる体験をできたのは、まぎれもなく出会った人たちすべてのおかげです。たぶん8年間で5000人ぐらい会っています。全国でも、長野でも、どの土地に行ってもSNS上でシェアされないような言葉を生身で受け取りました。

だからこそジモコロ編集長として最後の仕事が残されていると思っていて。それはジモコロ含めたローカル取材で「何を感じて、何を咀嚼して、どんな行動に移してきたのか」「そもそも土地に根付いた人たちは何を与えてくれるのか?」の言語化、つまり書籍化の準備をじっくり進めています。

資本主義の反対側にある価値なのか、日本の宗教観と自然感と共に生きる知恵なのか。不自由な自由と選択肢が無数に与えられた現代人の悩みは深い。自分を問われ、自分で考えなくちゃいけない。その中で光明を見いだせたのは、鶴と亀・小林くんの生き方です。

この記事を作り上げたときに「ジモコロ編集長の最後の仕事です」と言い切っていましたが、ジモコロの究極すぎる取材の大半を撮影してくれた鶴と亀の小林くんの言葉にヒントがある。それは「制限下の中でどう生きることを決めきるか」に尽きるんじゃないか。

根無し草で地元のアイデンティティに見切りをつけて、長野県に移住したのが6年前。現在は長野市と信濃町の県内二拠点生活をしながら、「ここで生きていくしかない」を自分なりに実践しています。地元と文化。ジモコロのエッセンスをすべて咀嚼し、生まれ育った大阪から移り住んだ長野で生死を全うできるのか?  これは自分で見つけたジモコロそのものなんですよね。これまでも、これからも、引き続き見守っていただけたら嬉しいです。

著書『おまえの俺をおしえてくれ』は引き続き取り扱い店舗を大募集しています。4000冊刷って、残り1200冊ぐらい。ジモコロに至るまでの人生の断片と、現在の思想に行き着くまでの足掻きを400P、30万文字に落とし込んでいます。

Huuuuとして編集のお仕事もお待ちしています!5月〜7月は社内リソースも落ち着いているのでお気軽にご相談ください。良い記事つくるぞ。

それでは、またどこかで。風のように会いましょう。



1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!